第1章

11/32
前へ
/32ページ
次へ
「ね?つまり、すごくパイが小さな市場なのよ。そこで生き残るには、才能だけじゃない、後ろ盾が必要なの。わたしの友達の作家はみんな家が裕福だったわ。どこかの大企業の重役だったり、実業家だったり。そういうこと。後顧の憂いがないってことよ。大きな家に住んで、炊事洗濯だったり、絵の具で散らかした部屋を掃除したりしてくれるお手伝いさんが始終目を光らせて部屋を綺麗にキープしてくれる」 「ねえ、それと五反田さんのボストンバッグとどんな関係があるんだろう?」 ぼくは彼女に聞いてみた。 「それをわたしの口から言わせるつもり?わかるでしょう?」と彼女はぼくに聞いた。ぼくがぴんときていない表情をしているのに気がついて、彼女は溜息をついた。まあ、いいわ。と表情が語っていた。「いまのところわたしには何の後ろ盾もないわ。家もとくに裕福ってわけじゃないし、パトロンがいるわけでもない。でもね、一生アーティストとして暮らしていきたいのよ。そのためにはどんなチャンスも逃したくない。もしも五反田さんが本人が言うようにすごい大金持ちだったら?」 「わからないな。そこのところがよくわからないんだ。五反田さんがお金持ちだったからといって、いったい何が変わるんだろう?」 「あなた、ほんとうにそんなこともわからないの?しかも営業マンなのに?」彼女は溜息をついた。「まあ、いいわ。よほどおっとりした人なんでしょうね。五反田さんがお金持ちをもっていたとしたら、自分を売り込むチャンスじゃない。わかるでしょう?お金を持ってる年配の紳士は、若いアーティストを支援したくて仕方がない。そういうものよ。お金は黙ってたって入ってくる。そりゃあもう、湯水のごとくね。でも、どこか満たされない思いを抱えている。世間からの風当たりも強い。お金を持ってるというだけでいろいろなやっかみをかかえることになる。気持ちよくこの金を使って、しかも世間から後ろ指をさされることもない、そんな状況はなんだと思う?」 「後ろ盾」とぼくはつぶやいた。 「そう。その通り」 「でも、そんな金持ちがわざわざ二等船室なんかに泊まったりするかな?ファーストクラスならともかく」
/32ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加