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「ほんとうに残念なことですが、朝飼い主がゲージを開けたら冷たくなってたみたいです。それでその飼主は訴訟だ、とか言って騒ぎ始めました。フェリー会社のほうに落ち度がないのは明らかなのに。あとは他にも、夏には、車の中に犬を入れてカーフェリーに乗せて、車内が40度以上にまで死なせてしまった飼い主もいました。もとはと言えば、別料金を払うのが惜しかったから起こったできごとです。まったく自業自得なんです。本当に大人として恥ずかしくないんでしょうかね」
遠藤は淡々と早口でまくしたてた。ぼくはその剣幕に押されて「たしかに恥ずかしいことだね」と同意することしかできなかった。いったい他になんと言えばいいだろう。
その後も遠藤はすっかり興奮してしまったようで、ぼくを相手にいかに不真面目でルールを守らない大人が多いか話しつづけた。ぼくはとりおり相槌を打ったり、驚いてみせたりしながら彼の話に付き合った。
「不正を見つけたら必ず船員に連絡するようにしています。だってそれが義務ですからね」と遠藤は鼻息荒く宣言した。そうやって彼が言ったあと、ようやく開放された。まだ、佐藤となつみは戻っていなかったが、その頃にはとても眠たくなっていたのでどうでもよくなっていた。
そのときなぜかフィンランドにいる夢を見ていた。
チンアナゴみたいな白くてうねうねした植物のような、動物のような何かがそこらじゅうに生えているなかを歩いていく夢だ。隣にはぼくの恋人がいた。かずなとぼくはその白いチンアナゴを指差しながら、フィンランドの美しい渓谷を歩いていたのだ。ぼくが冗談を言うと、かずなは楽しそうに笑った。
ウケてくれたのがうれしくて、何度も冗談を言うと、彼女はさらに笑い転げた。ああ、これは夢だ、とすぐにわかった。なぜならフィンランドの渓谷にニョロニョロは生えていないし、かずなはぼくの冗談で笑わない。それでもぼくはその一時とても幸せだった。
しかし、彼女はふと何かを見つけて、笑顔になった。それはぼくが彼女にもたらした笑顔とはまったく別のものだった。
『???』
彼女は男の名を嬉しそうにつぶやいてぼくの元から去っていった。彼女が走っていく方にはまばゆい光がさしていた。そして、その光の先に一人の男が立っている。全身から血の気が引いた。かずなとその男は親しげに腕を組んでいた、ぼくは何かを叫ぼうとしたが、声は出なかった。
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