第1章

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甲板はひどく強い風が吹いていて、ぼくたちはお互いが会話をするのにちょうどいい場所を絶えず捜しながら歩いていた。そうしないと吹きすさぶ風に向かって怒鳴り合うことになるし、何よりも寒い。 そして、ようやく比較的暖かいポイントを見つけた。おそらく下がボイラー室になっているのだろう。タービンエンジンで暖められた熱気のおかげでそこは他と比べると比較的暖かい。ぼくは佐藤と歩きながら巧みに誘導してその場所に立った。ようやく生きた心地がしてきた。 「きみにアシストしてほしいんだ。ぼくは今夜この甲板で彼女に交際を申し込もうと思っている」 ぼくが口を開こうとすると、佐藤は手でぼくのことを制した。 「きみが言いたいことはわかってる。十分承知してる。ぼくは見た目こそ20代後半でも通じそうだが、もう44歳だし、それに比べてなつみは20歳そこそこだ。年の差がありすぎるって言いたいんだろう」 気が付かなかったが、言われてみれば年の差も気になった。佐藤のゆるんだ体形や首の周りの皺はしっかり44歳だし、20代後半に見えるなんてことはない。なつみと並んだら若い父親に見えるかもしれない。 「佐藤さんは独身だったんですね」 「なつみのためにその席は空けておいたのさ。今ならそう確信できる」 「でも、言いにくいんですが、ここが告白のために最適なロマンチックな場所かと言われると、少し疑問ですね。まず、すごく風が強いし」 ぼくたちはさっきからずっと互いの耳に向かって怒鳴りあっていた。それでも言葉が聞こえなくて、何度も聞き返した。 「それにすごく寒い。なつみさんはさっきからずっとくしゃみしていませんでしたか?熱があるのかも」 「心配してくれてありがとう、でも大丈夫だよ、三田村くん。フェリーでこの甲板ほどロマンチックな場所はない。旅先のフェリーで、しかも甲板。なんてロマンチックなんだろう。もしも、ひとつの毛布にくるまって二人で朝日を見ることができたなら、きっと一生ものの思い出になる。お熱だって?その通りだよ、三田村くん。ぼくたちは互いにお熱なのさ」 突然強い徒労感に襲われた。 確かに成功率は低そうに見えたが、それがぼくになんの関係があるのだろうか?佐藤が告白に成功しようが、失敗しようが、ぼくの人生においては特に大きな意味はない。
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