第六話 地上300メートルの天空ディナーはカレー

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 止まっていた若者の足が再びじりじりと動き出す。 『いいぞ。いっきにいかなくていい。少しずつ動け』  窓の外に張り付いたまま、二人の男が移動してくる。玲奈と西尾がいるテーブルのすぐそばまで来たとき、新城が言った。 『田辺、止まれ。風が強い』  薄いガラス越しに登山家と目が合う。迫力に圧され、玲奈は声を失った。  西尾は見せつけるように、ヒレ肉の塊をガツガツと食べる。新城の刺すような自然を悠然と受け止め、ゆっくりとワイングラスを傾ける。 『田辺、この世でいちばん美味いメシはなんだと思う?』  ニートの青年は答えない。風の音で聞こえないのかもしれない。新城は誰に言うでもなく続けた。あるいはスピーカーを通して、会場に聞こえていると知っていたのか。 『俺は登山家だから、世界中の国でいろんなものを食った。ヤクのステーキからエスキモーの漬け物まで、なんでもだ。フレンチのフルコースももちろん食ってるよ。けどな、ほんとうに美味い食い物はそういうもんじゃない。世界でいちばん美味いのは――』  いったん言葉を切り、新城は言った。
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