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「玉藻、まさかお前あの男に惚れたとか言うんじゃないだろうね?」
そういう老婆は般若の様な形相だ。玉藻はおかしそうに笑う。
「何を笑ってるんだい!」
「わっちは男に惚れるような事はありんせん。あの男は景気がいいから確実につなぎ止めておきたいだけでありんす」
玉藻はそう言って藤十郎から貰った花代を老婆に見せる。
「ならいいんだけどねぇ。夕霧の様な事はごめんだよ。しつこい様だが遊女は男に惚れたり果てたりしたら勤まらないからね。分かったら部屋に戻っていい」
「あい、肝に銘じておきんす」
玉藻は老婆に一礼して部屋に戻った。
(わっちは他の女とは違いんす。決して惚れたりしんせん)
玉藻は幼い頃から惹かれあって心中をした遊女と客を何度も見てきた。
夕霧の様にふたりとも死ねればいいが片方、もしくはふたりとも生き残ったら悲惨な運命しか待っていない。
玉藻は彼らを心の中で嘲笑った。ここでは偽りの恋を提供するのが仕事。偽りに本気になって命を投げ出すのは愚かな行為だと思っているからだ。
何より恋は心でするものであり、そんな不確かなものを信じるなど莫迦げてる。玉藻は幼い頃からそう思い続けている。
その晩、玉藻は夢を見た。
ひどく青白い大きな満月には見覚えがある。妖しい月明かりに照らされた一組の男女。夕霧と彼女と心中した客だ。
双方の手には短刀が握られている。ふたりは同時に互いの胸に短刀を刺し、お歯黒どぶに落ちた。落ちる前に見えた夕霧の表情は切なさと幸せの色で満たされていた気がした。
そこまで見て玉藻は目が覚めた。夕霧のあの顔が頭から離れない。頭を振ると藤十郎の優しげな笑顔が浮かんだ。
(違う、違う……!わっちは惚れたりしんせん)
夕霧の夢を見てから玉藻は変わった。他の男と肌を重ねても以前の様な快楽が得られなくなってきた。時には嫌悪感すら抱く。
その度によぎるのが藤十郎のあの笑顔だ。玉藻はそれをかき消すように派手な演技で男を求めた。
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