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 町が眠りにつき、空には星が煌めく丑三つ時。髪の薄い中高年の酔っぱらい男──ノベルン・アーリェスが、河川敷の道をおぼつかない足取りで歩いていた。 ──ちきしょう。世の中腐ってやがる。  糞みたいな素人小説や、下らないアイドルソングの歌詞が世の中の流行になっているにも関わらず、俺の詩だけは正当な評価を受けない。  そもそも詩という媒体がいけないんだ。この娯楽の溢れているご時世で、誰も無名の詩人なんかにゃ見向きもしねぇ。芸術を嗜む喜びってもんが人々には欠如してやがるんだ。  ノベルンは橋の下までたどり着き、厭世的な悪罵を思い付く限りの表現で、橋台の壁に書き綴った。ペンは石ころではあるが、壁が程よく汚れていたお陰で、石で削った部分がくっきりと浮き上がっている。    やがて全てを書き終えた彼は、関節の緩んだデッサン人形のように地面に倒れこみ、そのままうたた寝した。   ──隣から、唄声が聞こえてくる。  唄声に目を冷ますと、そこに天使がいた。なまめかしい喘ぎ声で、彼を誘惑していた。  彼は彼女を求めて歩み寄る。天使はいたずらな笑顔で、空に飛んだ。彼をおいて飛んでった。  呆然と彼は気づく。彼女に騙されたと。  彼には羽がなかった。   天使は彼をいざなってはくれない。  ただ置き去りにして、笑うんだ。   「──良い唄声だ」   眠りから目覚めたノベルンは、ぼうっとした頭のまま、彼のよく知ってる詩を唄う少女の事を、口を開きながら眺めていた。  「良い歌詞だからよ」  少女は橋台の壁に手を触れ、黒い瞳を俺に向けてニコっと微笑んだ。真っ黒な髪が風に靡いているのを見て、本当に天使が俺を迎えに来たんじゃないか、とノベルンは思った。 「悪いが」と彼は少しはにかみながら言う。 「それは歌詞じゃないんだ」  「でも素敵よ。ねえ、この天使って貴方の奥さんの事?もしかして逃げられたの?」  彼は薄毛を優しく撫でつけながら「元から奥さんはいないよ」と答えた。 「ふーん」彼女は申し訳なさの欠片もない反応を見せる。近頃の若者は皆こうなのか。 「ねぇねぇ」彼女は後ろに手を組ながら、ノベルンの顔を覗きこむようにして提案する。「バンド組まない?」 「バンドだって?」  彼は驚然とした声音で、オウム返しに訊いた。
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