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一緒に並んで病院から出る。カップルでも家族でもない他人とこういう場所を歩いたのは、初めてのことだ。
「何もなくなってしまいました」
お腹をさすりながら彼女は言った。
無くなったというのは、子供のことだけではない。彼女の場合、家族の関係にも深刻な影響が出た。一番信用していた人に裏切られたのだ。
彼女がストーキングというもっとも回りくどい手段を選んだのは、薄々気が付いていながら、出来るだけこの結論から逃れたかったからだと、俺は想像している。
「一緒にいたときは、愛しくてのと同じくらい煩わしかった。いないのが普通なのに、いなくなると、いないのが不自然に感じるなんて、変ですよね」
「そう、ですね」
迂闊に理解をしめしてしまっていいものかどうかと思いながら、同意した。俺の頭の中に未だに空いたままになっている部屋が過ぎった。
「何か、これからしたいことはあるんですか?」
俺は聞いた。
彼女は目を伏せてから、それでも最初からそう決めていたように、淀みなく言った。
「貴方が出してくれた、あの紅茶が飲みたいです」
妊娠していたときは、カフェインを気にしてか出しても口をつけなかった紅茶。いい香りと言っていたから、本当は飲みたかったのだろう。
紅茶が嫌いな人間には理解できない感覚だった。あの匂いがまず嫌いなのだ。
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