誰もいなくなった部屋

14/15
前へ
/15ページ
次へ
 一緒に並んで病院から出る。カップルでも家族でもない他人とこういう場所を歩いたのは、初めてのことだ。 「何もなくなってしまいました」  お腹をさすりながら彼女は言った。  無くなったというのは、子供のことだけではない。彼女の場合、家族の関係にも深刻な影響が出た。一番信用していた人に裏切られたのだ。  彼女がストーキングというもっとも回りくどい手段を選んだのは、薄々気が付いていながら、出来るだけこの結論から逃れたかったからだと、俺は想像している。 「一緒にいたときは、愛しくてのと同じくらい煩わしかった。いないのが普通なのに、いなくなると、いないのが不自然に感じるなんて、変ですよね」 「そう、ですね」  迂闊に理解をしめしてしまっていいものかどうかと思いながら、同意した。俺の頭の中に未だに空いたままになっている部屋が過ぎった。 「何か、これからしたいことはあるんですか?」  俺は聞いた。  彼女は目を伏せてから、それでも最初からそう決めていたように、淀みなく言った。 「貴方が出してくれた、あの紅茶が飲みたいです」  妊娠していたときは、カフェインを気にしてか出しても口をつけなかった紅茶。いい香りと言っていたから、本当は飲みたかったのだろう。  紅茶が嫌いな人間には理解できない感覚だった。あの匂いがまず嫌いなのだ。     
/15ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加