第1章

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第1章

1) 高台に建つ瀟洒な別荘で、ルイーズは待っていた。  30年前、故郷を逃げるように出て以来、彼女は過去を全て忘れて生きてきた、と言っていい。  それがセオからの突然の手紙で、一気に過去は目の前の現実となって甦ってきたのだ。  そうは言いつつ、セオのことだけは、彼女は片時も忘れたことはなかった。もちろん、彼を想い続けるなどという馬鹿げた意味ではなく、ふとした折りに、例えば一日の終わりに温かいお湯に浸かった瞬間や、朝、小鳥のさえずりで目覚めたときなどに、セオの懐かしい顔がふと思い出されたりする程度に。  今から20年前、彼女は片田舎のハイスクール(公立高校)に通う貧しい少女だった。  およそ賑やかな社交場は見当たらないカンザスの田舎町。アル中であまり働かない父に代わって、学校を引けると家業のガスステーションと家事を切り盛りし、父に怒鳴られ殴られるだけの生活。  ルイーズにとって現実は悪夢。日々の暮らしは囚人以下だった。  そんな彼女にとって、唯一の救いは幼なじみの男の子だった。近所に住む同い年のセオドアである。彼の家も貧しく、母と共にたくさんの兄弟を養うために、少年時代からアルバイトで働きづめだった。  セオは、こんな田舎町には珍しい、素敵な男の子だった。優しくハンサムでスポーツ万能、学業も優秀。ハイスクールを出たら、奨学金を貰って南西部の大学に進学する予定だった。   ルイーズも、こんな()は田舎町に置いておくのはもったいない、と周囲の人から思われていたとびきりの美少女だった。ブルネットの絹糸のような髪、ハート形の小さな顔に、エメラルドを嵌め込んだような大きな瞳が印象的で、父親以外の誰からも愛されていた。  当時の同級生たちは皆、セオとルイーズを『お似合いのふたり』と思っていた。ぼんやりとそう感じていただけだ、それだけだ。彼と彼女が抱えている家庭の不幸については、誰も深く考えたり関わったりはしちゃいない。誰かが、その時点で一歩踏み込んでやっていれば、今頃二人は結婚して仲良く幸せに暮らしていたかもしれないが。  話を戻そう。  その頃のルイーズの楽しみといえば、学校の帰り道、ダイナーでセオとソーダ水を飲むことだった。
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