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初夏を迎えたばかりの、まだ冷たい雨が音もなく竹林を撫でている。
その竹林の奥には、鬱蒼する陰に紛れるように佇む古い日本家屋があった。
樺茶色の外装には、経た歳月が煤となってこびりついている。
雨の音の他にたつ音もない、無人に思われた室の奥。縁側に面した和室には老婆がひとり、横たわっていた。
天井を見ていた皺に埋もれたつぶらな目が、雨音に混ざって草を踏む軽やかな気配にゆっくりと縁側を見る。
静かに注ぐ雨音のなか、縁側に首を向けた彼女には待ち人の足音がしっかりと聞こえていた。
「お前さん、今年も来てくれたのかい? 嬉しいねぇ」
見つめる雨の中、人の形をした影が縁側に腰掛ける。
古びた縁側が、ぎしりと短く軋んだ。
「ちょっと気になっただけだ」
荷を下ろして、人影――…カイリは布団から起き上がった老婆の背を振り向いた。
「待っておいでね、茶をいれるから」
よたよたと覚束ない足取りで廊下を行く彼女を見送りながら、カイリは遠い目をして雨ばかり墜とす曇天を見上げる。
「人は…変わっちまうんだよな」
若いまま時が止まった自分と違い、人間は此世に生を享けてあっという間に老いさらばえる。
もし自分が過去のまま人間だったならと考えかけ、カイリは苦笑に口元を綻ばせた。
「珍しくセンチだな…この雨のせいだ」
思い出も、なにもかもを時は洗い流してしまう。
そう、その思いさえ。
今から60年前、俺はまだ娘だったアヤメと、この竹林で出会った。
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