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忘却の彼方へ
線路を走る音だけが、静かに響いていた。
通勤ラッシュを避けた、朝の少し遅めの電車。他に誰もいない座席の真ん中で、僕は着けていたイヤホンを外し、何気なく窓の外に目を向けた。
移りゆく街の風景。立ち並ぶ一軒家やマンション、それらの建物が視界の端に移っては消え、移っては消えを繰り返す。そろそろだな、と僕が席を立つのにちょうど合わせたかのように、車内にアナウンスが入った。
学校まで歩いて十分ほどのアスファルトの道。周りには同じ制服を着た生徒がまばらになって歩き、各々が革靴の音を響かせていた。
暖かい朝の日差しが体を包んで、しかしそれとは反対に冷たい風が顔を撫でる。
いつもとは変わらない朝。
そのはずだった。
見覚えのある後ろ姿に気付いた僕は、少し歩を速めてその背中に声をかけた。
「おはよう、陸斗。珍しいな、この時間にいるなんて」
陸斗はこの高校生活では最も古い友人で、校内外問わずよく行動を共にする仲だ。お前たちはニコイチだな、とよく友達や先生にも言われる、そんな存在だった。
それなのに。振り返って僕の顔を見たその表情には、どこかとても大きな違和感があって。
「どうした?」
たまらず訊いた。しかし彼は未だに困惑した表情を浮かべながら、いや、と声を漏らすだけだった。
ほんとにどうしたんだよ、と僕は苦笑することしかできなくて、その背中をポンと叩く。
調子でも悪いのだろうか。そう思いながら彼の横に並んだ、その時だった。
「――だっけ」
自分に返ってきたその小さな言葉に、思わず立ち止まった。
「……え?」
視線を向けた先にあったのは、何とも言い表すことのできない、焦燥の表情だった。あらゆる負の感情が入り乱れて、その表情のすべてを支配しているような。
「なんだよ?」
問いかけると、彼はバツが悪そうに僕から視線を外し、また黙りこんでしまった。泳がせた時折目をつむって考え込むようなその姿は、どこか普通ではない。
痺れをきらして再び呼びかける。すると陸斗はどこに焦点を定めているのか分からないほど泳いだ目を、おそるおそる僕に合わせると、弱々しい声で、こう言った。
「ごめん、誰だっけ……?」
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