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「郁実くん」 …………………… 「郁実くん」 マスターの声にハッとする。 「これ、あいつらに持ってってやって」 マスターが顎でピアノの方を指す。カウンターの上にはコーヒーカップが3つ並んでいた。 「あ、はい」 我に返ったマルオは慌ててトレイにコーヒーカップを載せる。 コーヒーをこぼさないようにそ~っと、でもできるだけ急いで運び、ピアノのそばのテーブルに静かに置いた。 無事ミッションをクリアし、ホッと小さく息をついて顔を上げると、シンガーさんが物珍しげにマルオを見ていた。そしてマルオの顔をじっと見たまま、モデルさながらの美しいウォーキングで近付いてくる。マルオの目の前で止まると 「君、初めて見る顔ね」 それから続けて 「ありがと。ちょうどコーヒーが飲みたかったの。君、気が利くわね」 婉然という言葉がピッタリな笑みを浮かべてお礼を言われた。やや低めで少しハスキーな、でもしっとりと艶のある声だ。この声で歌ったらさぞかし魅力的なんだろう。 「い、い、いえ、あの、マスターからです」 マルオはドギマギしながらもなんとか答えた。とても正視できない。 「運んでくれたのは君だからいいのよ。ふふふ、君、可愛いわね。新しいバイト君かしら?」 「え、あの、おれ……」 「照れてるの? 益々可愛いわね」 言いながらシンガーさんはマルオの頬をするりと指で撫でた。 「え、あ、あの……」 大人の女の人を相手にタジタジのマルオはろくに答えることもできない。
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