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「朱里、俺の後輩をからかうのはやめろよ」
見かねたのか世理がシンガーさんを止めてくれた。
「あら、世理の後輩なの? へぇ~。よろしくね、私は朱里。歌を歌ってるの。君は? なんていうの?」
朱里は世理の言うことなどどこ吹く風といった様子だ。マルオが答える隙もないくらいに次々と質問を浴びせてくる。更に一歩近づくとマルオの右手を取りギュッと握った。思いがけないことにマルオはビクッと硬直するが、それも意に介さず朱里はマルオをグイッと引き寄せた。そしてマルオの耳元に口を近づけ小さな声で
「ねぇ、君、世理にいじめられてなぁい?」
と聞いてきた。
「え! あ、そん、な、こと、ないです…」
マルオはヨロヨロと後退りしながら答えるが、右手は捕らえられたままだ。
「朱里!何やってんだよ、離れろよ! 丸岡に絡むなよ!」
世理がさっきよりも声を荒らげて抗議する。
「何よ、そんなに怒らなくったっていいじゃない」
「ねぇ~」と、首を傾げて言いながらマルオに同意を求めてくる。
「あ、あの、俺、仕事あるんで……すみません」
マルオは何とか手を振りほどき、朱里の前から逃げ出した。「あ~あ、逃げられちゃったぁ」という朱里の声を背中に聞きながら。
その後のマルオは、店の仕事をしながらもピアノの方が気になって仕方がなかった。そして無意識のうちに度々そちらに視線を飛ばしていたが、見るたびに朱里が世理を構っていた。頭をくしゃくしゃっと撫でたり、ほっぺをつついたりと、はたから見るととても仲睦まじく感じられた。世理は少し迷惑そうな顔をしているようにも見えたのだが。
そんな様子を遠巻きに眺めながら、マルオは心がザワザワと波立っているのを感じていた。
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