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エプロンを畳んでいた優羽は、開けていたロッカーの扉の陰にいたため、よく聞こえず思わず聞き返した。
「優羽は、お客様の梶矢さんのことが好きなのか?」
端正な顔立ちをしている篠原は常に周囲をよく見ており、気配りができることから特に女性客に人気がある。
一人前の役者を目指している彼は、まだ劇団の舞台出演だけでは生活が苦しいため、いくつか掛け持ちしているアルバイトの一つがここキーホールであった。
篠原は雑用や接客をするだけではなく、今では新しいアルバイトの教育係も務めており、ママからの信頼も大きかった。
キーホールにおいて、経営者であるママ以外では勤務年数が一番長いため、正式に雇われている優羽も頼もしい先輩として慕っている。
突然、梶矢という名前を出されて両耳がカッと熱くなったのを感じた優羽は、顔をロッカーの扉の陰に隠しながら、いつものように明るい声で言った。
「もう、篠原さん、突然そんなこと言われたら、驚くじゃないですか!」
「あの人、左手の薬指に指輪をしてるのは、結婚してるってことだろ?」
着替えながら篠原が心配そうな声で続ける。
「芸能関係って奔放な奴が多くてさ。不倫とか浮気とか、遊びのつもりが刃傷沙汰になったって話も周囲でよく聞くんだ。だから優羽、大丈夫かなって」
それを聞いた優羽が、
「ありがとうございます。もちろん指輪のことは気付いてますし、梶矢さんのことは好きな常連さんの一人だと思っているだけです。それに、もし本当に好きだったら僕は奥さんから強引に奪うんじゃなくて、身を引いちゃうと思いますから」
と、ロッカーの扉を閉めて、篠原を安心させるように笑顔を見せた。
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