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確かにある。同棲を始めてすぐの頃、もし治らない病気にかかったらどうするかと、サキに聞かれたことがあった。死に対して、現実感の無かった俺は、痛み止めの薬を飲んで日本中を旅して周ると答えた。ベッドの上で一生を終えるなんて人間らしい生き方だと思えなかったからだ。だけどそれは俺が無知だっただけだ。俺が死んでしまうことと、サキが死んでしまうことは意味が違う。
「俺は少しでも長くサキに生きて欲しいんだ」
「じゃぁ、退院は決まりね」
「困らせるなよ」
「私、夜が怖いの」
サキは遠慮がちに言った。
「このまま一人で死んで行くのかなって思ったら、怖くて夜、眠れなくなるの」
俺は治療費のことばかり考え、いつも少しの時間で病院をあとにしていた。病床の不安を、ましてや泊まり込みの付き添いなんて考えたことがなかった。
俺は精一杯の笑顔をサキに見せた。
「病院を出たらどこへ行きたい?」
「江ノ島。そこに恋愛の聖地があるんだって」
「わかった」
俺は直ぐに退院の手続きをした。会社にも辞表を書いた。それからサキの乗る車椅子を押し江ノ島にある恋人の丘までやってきた。
サキが穏やかな鎌倉の海を見ながら言った。
「優しい顔になったね」
「仕事を辞めたからだよ」
「今更、後悔しても、約束は守ってもらうわ」
「当然さ。いつも俺にあわせてくれたもんな」
サキは吹き上げる潮風に頬を緩めた。
「始めてのデートの時、切符を買ったでしょ。その時の占いの数字、幾つだったと思う?」
「百点?」
「正解は三十点」
「やけに低いな」
「だからそんな時、女の子同士はこう言って励まし合うの。足りない数字は努力のぶんって……」
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