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◆ side. Gabriel ◆
ようやく静かになった室内には相変わらずクリスマスの軽快な音楽が流れている。だが、これからガブリエルがしようとしている事は、そう楽しいものではなかった。主に、取り残された侵入者二人にとって。
『さて。俺はそんなに日本語が得意じゃないんだけど、キミたちの目的を教えてもらえるかな』
『お前、いったい何なんだ』
『ただの留学生だけどね』
『ふざけんなよ…!』
床に組み敷かれたまま指先くらいしか動かす事の出来ない男にとっては、確かにガブリエルの言葉に説得力はなかったかもしれない。だが、素性を明かしていないだけで、ガブリエルはれっきとしたマフィアなのだ。この程度の事は、ガブリエルにとって朝飯前の事だった。
『ふざけてるつもりはないけど…。そうだなぁ、俺はそんなに気が長い方じゃないから、早めに喋ってくれないとキミが痛い思いをするんじゃないかな?』
にっこりと笑うその姿は、見る者が見ればフレデリックの若かりし頃にそっくりだと言っただろう。もちろん、笑顔を纏いつつ、その目が一切笑ってなどいないという事も含めて。
藤堂や啓悟はおろか、一哉でさえもガブリエルがマフィアである事は知らない。ガブリエルとフレデリック、そしてクリストファーがマフィアである事を知っているのは、当人たちとマイケル、そして辰巳だけである。
マフィアは、組織の人間すべてがその素性を隠し、組織自体を存在しないものとしている。それは彼等にとって当たり前の事で、血の掟と呼ばれ、破ればそれはすなわち組織自体を危険に曝す行為とみなされ、凄惨な罰を与えられるのだ。
だがしかし、今この場にはガブリエルが素性を知られてまずい人間などいなかった。組み敷いた男にもし素性がバレたとしても、海に投げ捨てればそれで済む事である。
『話したくないのなら、キミには真冬の東京湾で寒中水泳を楽しんでもらうだけだから構わないけどね』
『どうせお前たちの仲間もそのうち捕まる』
『それはどうかなぁ。少なくとも、キミと同じような人間がプラトゥーン(小隊)程度いたところで俺たちには勝てないと思うけれど』
小隊。つまりは三十人からの敵がいたところで自分たちの方がまだ上だと、ガブリエルはあっさりと言って退けたのだ。
『小隊だと? ふざけた事をぬかすな!』
『ふぅん? やっぱり父上の言った通り、キミたちは何かしらの訓練を受けているという訳だ。普通、プラトゥーンなんて言われても一般人が即座に規模を割り出すなんていうのは稀な事だからね』
ガブリエル自身、フレデリックに言われるまでもなく相手が何かしらの訓練を受けているだろう事は動きを見れば分かっていた。むしろこれは確認というより、相手に対する挑発のようなものだ。
男を組み敷いたまま、ガブリエルはスマートフォンを取り出すとフレデリックへとメールを入れた。これで、ガブリエルの頼まれた仕事は終わりという訳である。
『まあいいや。残念だけど、ここにはキミを拘束しておくための道具がない。寝かせておいてあげてもいいけれど、目が覚めて暴れられるのも俺としては面倒だからね。悪いけど魚の餌になってもらうよ?』
『なッ』
何ともない事のようにそう言って、ガブリエルは男の首を締め落とした。ぐったりとした男を無造作に肩へと担ぎ上げ、様子を窺うようにドアを開ける。未だ騒がしい声がそこかしこから聞こえてくるのに小さく首を傾げてドアを閉めると、ガブリエルはもう一方の側面の壁にあるドアへと歩み寄った。
船外に通じる扉は鉄製で些か重いが、片手で開けるのに苦労はない。
まるで人形でも投げ捨てるかのように担いでいた男をガブリエルは海へと投げ捨てた。ついでに、辰巳が締め落としていったもう一人の男も同じようにする。
綺麗な夜景に照らされて僅かに煌く波間に小さく呟く。その唇から流れ出たのは、フランス語だった。
「運が良ければ、岸に辿り着けるかもね」
意識を失ったまま真冬の東京湾に投げ出され、生きて岸まで辿り着くのはどう考えても奇跡だろう。だが、ガブリエルにとって名前すら知らない日本人の運命など知った事ではなかった。
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