◇ side. Tatsumi ◇

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◇ side. Tatsumi ◇

 何気ない足取りで廊下へと出た辰巳とフレデリックは、閉まったドアの前でともに左右の通路を見渡した。人の気配と様々な声は聞こえてはいるが、それはどれも遠い。隣に並んだフレデリックを辰巳はチラリと見遣る。 『甲斐と隼人は、どっちに行ったと思う』 『情報を集めるつもりならブリッジだろうね。でも、この調子じゃ他の乗客たちと一緒に居ると思うけれど』 『まさか連中の目的は甲斐じゃねぇだろうな』 『どうかな…。だとしたら、甲斐と隼人を行かせた僕の責任だ』  ホストだからと、甲斐と隼人に任せようと言ったのは、他の誰でもないフレデリックだった。騒ぎが起きた時点で可能性を見抜けなかったのは自身の落ち度だと、そう言うフレデリックに辰巳は肩を竦めてみせる。 『そりゃあ俺も同じだろ。お前のせいじゃねぇよ』  コツリとフレデリックの頬を拳でつついて、辰巳は船主に向かって歩き出した。 『取り敢えず藤堂と啓悟がいるからな、露払いくらいはしておくか』 『ツユハライ…?』  珍しく言葉の意味が分からないと首を傾げるフレデリックに、辰巳はガシガシと頭を掻いた。フレデリックが知らない日本語はそう多くはないが、稀にこういう事がこの二人の間には起きる。状況が状況な上、”露払い”という言葉の意味をすぐには説明できない辰巳は困ったように笑う。 『あー…、なんか由来だのなんだのあった気がすんだが、めんどくせぇから後で自分で調べろ』 『もう、気になるじゃないか…』 『あぁん? お前の勉強不足だろ。人のせいにすんな阿呆』  そう言って辰巳が顔を顰めた時だった。通路の曲がり角で、ばったりとスーツ姿の男と出くわす。危うくぶつかりそうになった辰巳の肩を、フレデリックが軽く突き飛ばした。その瞬間、それまで辰巳の立っていた場所を何かが素通りする。 『あ?』  辰巳が怪訝そうな声を出すと同時に、フレデリックの手が男の腕を捉える。その手に握られたものを見て、辰巳はようやくその正体に気付いた。 『危ねぇなお前』 『キミは相変わらず危機感がないね、辰巳?』  呆れたように言いながらあっさりと男を後ろから締め落とすフレデリックに、辰巳がポリポリと耳の後ろを掻く。 『だってお前、スーツ着て一般人かと思うだろぅが』 『さっき部屋に入ってきた男たちもスーツだったじゃないか』 『そうだったか?』  悪びれる様子もなく辰巳は言って退けると、足元に男を転がしたフレデリックの躰を抱き締めた。否、抱き締めるようにして位置を入れ替えながら、フレデリックを支点に長い脚を振り上げる。踵が、通路の奥にいた男の手を跳ね上げて、刃物が天井に当たり、男の鼻先を通過した。 『ひッ』 『惜しいな。もうちっとで脳天刺さったのになぁ?』  残念そうな言葉にたじろいで後退る男を、辰巳は肘で突き飛ばした。軽々と吹き飛んだ男が、床に落下して動かなくなる。だが、如何せん場所が悪かった。通路の先からわらわらと出てくるスーツ姿の男たちに、呆然と立ち尽くす辰巳の肩をフレデリックが叩く。 『どうしてキミはそう、後先考えずに行動するんだろうね…』 『うるせぇな、放っとけ』 『違うだろう? 辰巳。こういう時は、可愛くおねだりしてくれなきゃ』 『あーあーお願いしますよ愛しのスーパーハニー? …なんて言うと思ったかこのタコ! てめぇのケツくらいてめぇで拭くっつぅんだよッ』  フレデリックの言う通り、まったく後先も考えずに男たちの中へと辰巳は無謀にも突っ込んでいく。まさしく手あたり次第スーツの男を吹き飛ばし、殴り飛ばし、蹴り上げるその姿にフレデリックが苦笑する。 「熊かな…?」  そうフランス語で小さく呟いて、辰巳の背後に近付く男の襟首をフレデリックはひょいと捕まえた。 『僕の辰巳に触れようとするなんて、許せないね』  にこりと微笑みながらそう言うと、側頭部に肘を叩き込む。脳震盪を起こして目をむいた男の襟首をフレデリックはあっさりと手放した。  もちろんそんな事などつゆ知らず、目の前の相手だけに集中する辰巳の耳に楽しそうな声が届く。 『暴れるのはいいけど辰巳、自分から飛び込んで怪我をしたら…どうなるか覚えておくといい』 『はッ、そりゃあ楽しみだな。てめぇこそ傷もんにでもされてみろ、ほっぽり出してやっから覚えとけよ』  軽口を叩きながら通路を進んで行った辰巳が、進むべき方向を見失っていた事に気付いたのは、目の前にブリッジの扉を見つけたからだった。 『つか甲斐と隼人はどこだよ?』 『聞きだす間もなく気絶させたのはキミだろう?』 『あー…まあいいじゃねぇか、露払いだ露払い。戻るぞフレッド』  ガシガシと頭を掻く辰巳に、フレデリックは呆れたように首を振る。僅かに乱れた辰巳の前髪を長い指で掻きあげながら、フレデリックが呟いた。 『それじゃあ今度は、僕がエスコートしてあげるよ。可愛い子猫ちゃん?』  その台詞に、辰巳が顔を顰めた事は言うまでもない。
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