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 雨の日は特に酷い。  頭痛に腹痛、眩暈はするし、気分は落ち込み、喉に何か(つか)えている様な感じが消えない。  早矢兎(はやと)は薄ら寒い霧雨の中重い足取りで家路を急いでいた。  早くご飯を食べて眠らなければ、明日もまた忙しいのだ。  そんな時に限って傘を忘れるという失態、体調がすぐれないと碌なことはない。折角舶来の生地で誂えた三つ揃いもすっかり湿気(しっけ)て皺ができている。  忙しさにかまけて散髪に行きそびれている所為で伸びすぎた前髪が水を滴らせている。横に撫で付け様と顔を傾げた拍子に、いつもは見ることのない路地にある淡い光に包まれた建物が目に留った。  看板には『四元漢方堂(よつもとかんぽうどう)』とある。 へぇ、こんな所に。  周りは古書店やら食堂ばかりの学生街では珍しい。興味は引かれるが早く帰らねば、と思ったところで声を掛けられた。 「もうし、傘をお持ちになりませんか?」  弟子か手伝いの青年だろうか。漢方堂の軒先から20歳前後の男が早矢兎に声をかけた。暗闇に傘の柄を持つ綺麗な形の手が伸びてくる。微かに指を触れ合わせながら早矢兎は蝙蝠傘を受け取った。 「これはどうも有難う、助かります。明日返しに伺います。お店は何時まで開けていますか?」 「日の出から日の入りまで開けておりますよ」 「おや、今はもう夜ですが…」  くすくすと青年が笑う。新月の暗がりの中で店から漏れる淡い光に目を凝らしてみれば、青年の瞳も髪も胡桃の様に明るい茶色であることが分かる。上弦の月の様な双眸は人の心を捕えて水の底に引きずり込む魔物の様だ。美しい妖か幻獣の化身か。 「店は閉めておりますが、私共は二階に住んでおりますので。さ、お身体が冷える前に早くお帰りになった方が宜しいのでは」 「ああ、有難うございます。それではお言葉に甘えて…」  さすが漢方堂で働いているだけあって「身体が冷える前に」なんて台詞が出るものだと考えながら早矢兎は重く冷えた胃の腑の辺りに手を当てて歩き出した。
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