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終わらない暗闇と、申し訳程度の月明かりと、揺れ動く水面と、吐息がうるさいほどの静寂と……暗闇から聞こえる声以外に、何も無かった。
早う置いて帰れば良い。簡単なことだろう。
声はやっぱり答えをくれない。そして自分にもその答えはわからなかった。置いていくものを、置いていけるものを、もう要らないものを、思い浮かべようと30分も考えたと思うのに、わからないままだった。
だから帰りたいだけなんだってば。置いて行くものも持ってないのにどうすりゃいんだよ。
膝の震えはいつの間にか消えていた。力が入らなかった腰ももういつも通りだった。立とうと思えば立ち上がれる。けれど、立って歩いてもどうにもならないことを、自分はもう知っていた。このくらやむばかりの夜が終わらなければ意味がない。そうすればいつもの山に戻れるのだろう、そして帰れる。そのためには、この声の言う通りに置いていかなくてはならないのだろう。それなら、置いていくものをどうにかしなくては。
座り込んでいる地面には短い草が生えていた。昔から馴染む山にもこれはあった。隠れん坊をして、寝転んで、眠って、ただ気持ちよくて、そしてあの日も夜が来た。誰もいなくて、泣きながら帰っていった。家の明かりが見えると涙は弱くなって、帰りつく頃にはお腹が空いていた。玄関を開けると母さんが腕を組んで立っていた。そういえば……
ちゃんと置いて来たのね。
母さんはそう言って、頭を撫でてくれたのを覚えてる。
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