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春先のまだ寒い日だった。
ポトフを作ると言ったら、どこのオシャレなカフェだよ、などと呆れるので、鍋をやるのと手間は変わんねえよ、とむきになって答えた。あれ、お前ビールいらねえの、と訊くと、酒は飲まない、と首を振った。寒くないか、とコタツの温度を上げようとすると、暑いくらいだ、と言われた。
締めのリゾットもどきを食べながら、二人でノートPCの画面を覗き込んだ。でも正直、映画の内容なんて半分以上どうでもよかった。一緒にいて楽しいと思っていることを互いにそれとなく伝え合う、そんなやりとりができるだけで十分だった。
頭に浮かんだその情景が記憶なのか想像なのか、今の万葉には区別がつかない。判断を置き去りにしたまま、心だけがふわりと浮き立つ。
たとえ空想でも、直輝といるのは居心地がよかった。
「あのさ」
頬杖をつきながら、改めて目の前でホットコーヒーを飲んでいる顔をまじまじと眺めてしまう。
「なんだ?」
直輝が顎に少しだけ力を入れた。あ、緊張してる、と思う。注意深く見ていると、心の動きに合わせて直輝の表情もわずかずつだが変化するのがわかる。彼は決して仏頂面でもポーカーフェイスでもないのだ。
「そのうちまた一緒に映画観ようぜ。俺の部屋でも、映画館でもいいけど」
万葉のその言葉に、直輝が急にぎくりとしたのがわかった。
(あれ?)
万葉と目が合うと急いで無表情に戻ろうとするのだが、目元に強い緊張が感じられる。
「万葉……やっぱりあの約束、覚えてたのか」
「え。約束って、なんの」
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