5人が本棚に入れています
本棚に追加
私は残業をしていた。
冬樹統一郎との関わりで精神状態が掻き乱され、仕事のペースが大幅に遅れている。
他の人が尻拭いをしているからだ、と冬樹統一郎に言った以上、私は同僚や部下にヘルプを出せない。
そして仕事が終わらないまま翌日に持ち越す事も許されないのだ。
法的には何ら問題無いけれど、翌日出社して、さあ、昨日の仕事の残りをやってしまおうか、では示しが付かない。
勿論、法的には何ら問題無いのだけれど。
案外、冬樹統一郎ならあっけらかんとやってのけるかも知れない。
いや、そもそも彼は声を荒げたりするのだろうか?
目の前の仕事に没頭しなければならないというのに、頭は考える必要のない冬樹統一郎について思考を重ねる。
気が付けばオフィスにいるのは私と冬樹統一郎だけ。
大きな口を叩いておきながら、叱責した冬樹統一郎と同じ仕事のペース。
嫌になる。
自分も、他人も、何もかも。
ようやく仕事が終わり、オフィスを出る。
終電は発車していた。
最悪だ。
「あれ?雪野先輩」
声がした。
嫌な予感がして、逡巡した末に振り返ると冬樹統一郎がいる。
予感的中。
偉そうな口を叩いておいて、残業して、終電を逃す。
格好悪すぎる。
「どうしたんですか?こんなとこに突っ立って」
言葉に棘が有る気がした。
いや、冬樹統一郎は常にこんな口調か。
何にせよ、彼の言葉は私をチクリと突き刺す。
「別に?少し考え事をしていただけよ」
私は澄まして答える。
「あっ、そっか。終電逃したんですね」
冬樹統一郎は私のカモフラージュをあっさりと暴く。
仕返しか?でも、彼は誰にでもこんな感じか。
敬意も悪意も持っていない。
「僕のアパート、来ます?」
冬樹統一郎の言葉に、私は耳を疑う。
「え?」
「泊まる場所、有りますよ」
私には彼の表情も、真意も読めない。
「……どうしてそんな事を言うの?」
安易にイエスかノーを出すべきでは無い。
提案に乗ったら、嘘でした、言いふらします、では困る。
断ったら、なに意識してんだよ、オバサン、て思われるかも知れない。そして断った場合でも好き勝手言いふらされるかも知れない。
いや、冬樹統一郎はそういった種類の人間とは違う気がする。
そもそも私、誰の事も理解できていないのではないだろうか。
自分の事も。
「実はですね、ついこの間、知り合いから良い物を貰ったんですよ。特別に見せてあげます」
最初のコメントを投稿しよう!