第一章

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「それいつの話? 奥さん、近眼?」 「こら、今は腹が出てるおっさんだけど、昔はイケてたぞ!」 「その頃、俺ら生まれてないッスね」  なあ? と三田村に声をかけるとふいっと顏を伏せられた。怒らせたか? と店長も颯太も心配したが、一瞬で吹き飛んだ。三田村は肩を震わせて、笑いを我慢しているようだった。 「おい、何がおかしいんだよ」 「店長は、昔はイケてた、あたり?」 「なに? どういう意味だよ、三田村」 「すみません。二人のやりとりが、その、おかしくて」  顏をあげた三田村の笑顔に迂闊にもドキリとさせられた。 「ほら、そういう顏しろよ。おまえにはホールに出てもらいたい。客寄せにもなるし」 「店長、本音が出てますよ。まぁ、もし何か問題起きたら、俺か店長がなんとかするよ」 「俺は何もしないが、颯太がなんとかする。こいつは人とモメたことがない。安全パイだし」 「安全パイ?」  三田村が颯太を見る。 「こいつ、本当に男にも女にも敵がいないの。童貞だし、安全と思われてるんじゃね?」 「ど、童貞は関係ないだろ!」 「え? なんで童貞なの?」  さっきまで笑っていた三田村は、颯太の顔をのぞきこんで尋ねる。 「お、おまえ真顔で聞くなよ…」 「出たよ、イケメンの余裕!」  三田村と店長が顔を見合わせて笑った。内容はさておき、三田村は思っているより大変なのだと思った。イケメンにはイケメンの苦労がある。自分は普通、いや、もしかしたら普通以下かもしれないが、容姿に恵まれてなくてよかったと思ってしまったほどだ。  颯太と店長の説得のおかげか、それからの三田村の行動はさきほどとは比べ物にならないくらい劇的に変わった。愛想よく振る舞い、声もハキハキとしている。おかげでイケメン度を上げることになってしまったし、三田村に見とれる女の数も倍以上に増えたが、それでも楽しそうに働いている姿を見ていると颯太も嬉しかった。途中、三田村に電話番号を渡そうとした客を颯太が阻止するということはあったが、特に大きな問題は起きなかった。  世の中は積極的な女で溢れている。ドルオタ界もそうだ。アイドルに顔を覚えられようと必死過ぎて、周囲やアイドル自身に迷惑をかける女を、颯太も嫌というほど見てきた。  その後も、三田村に声をかけてくる女もいたが、颯太が間に立って防ぎ、なんとか初日のバイトを終えた。
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