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「はぁ、はぁ、はぁ」
「はぁ、はぁ……なんとか、逃げ切ったか」
人気のない場所まで逃げてから、美瑛と刃は腰を下ろした。
「……なんで刃君、あんなこと……これじゃあ刃君が危ない目に……」
「……これなら、美瑛ちゃんの望み、叶うと思ってさ」
「……え?」
「これなら、美瑛ちゃんに批判がいくこともないし、俺のせいにすればしつこい男も美瑛ちゃんから俺に矛先を向ける。美瑛ちゃんに好きな男ができたら、俺にそいつを仕向けてわざとやられれば、世間的にそいつは美瑛ちゃんのヒーローで、それなら彼氏になっても皆お似合いって思われると思うんだ」
「……!」
「心配ないよ、俺は身体が頑丈だし、翔矢や流斗には事情を話して守ってもらうし。だからさ、美瑛ちゃん。これからは、やりたい青春が出来るはずだ。俺でできることなら、なんでも協力する」
「……なんで」
「え?」
「なんで……そこまでするの?」
刃と美瑛は、ただの友人。それ以上でも以下でもない。こんな命も尊厳もかけたことをしてもらう義理なんかない。申し訳なさしかない。
「……なんでって言われてもな。理由は1つしかないんだ」
「……理由?」
「俺さ、美瑛ちゃんの大ファンなんだよ」
キョトンとして刃を真っ直ぐ見てくる美瑛を見ていられなくて、刃は目線を逸らす。
「美瑛ちゃんの写真集とかも持ってるし、ブロマイドだって集めてるし、携帯の待ち受けにだってしたことあるし……いや、本人前にして何言ってんだって話だけどさ。とにかく、大ファンなんだ」
恥ずかしくて、面と向かっては言えないが。
「……だから、美瑛ちゃんには幸せになって欲しい。笑って欲しい。笑顔でいて欲しい。だから、勝手にやった。怒られてもしょうがないけど、それでも──」
──とん。
「……え?」
「……こっち、向いちゃダメ」
向けていた刃の背に美瑛は頭を預ける。長い髪に隠れて、表情は誰にも見えない。
「えっと、美瑛ちゃん。何してる、んですかね……」
「刃君」
「は、はい」
「……ずるいよ」
初めてだった。自分の為にこんなにしてくれる人は。
今まで優しい人はいた。でも、それは美瑛とあわよくばお近づきになりたいとか、下心が見えた優しさしかなかった。
初めてだったのだ。ここまでの無償の愛を向けてくれた人は。
諦めようとしてたのに、譲ろうと思っていたのに、こんなのは卑怯だ。
「え……お、俺なにか美瑛ちゃんにしたのか!?」
「ねぇ、刃君」
「な、なんでしょう」
「……もし、私が演技じゃなく、本当の恋人にしてって言ったら、刃君はどうする?」
「……え?」
「……答えてよ」
少しの間が空いて、
「……できない」
そう簡潔に返ってきた。
「……私、たぶん美人なのに?」
「知ってる、それでもだ」
「スタイルもいいのに?」
「それでもだ」
「刃君のしたいこと、何でもしてあげるのに?」
「……それでもだ」
「……こんなバカなことしちゃうくらい、私の事、好きなのに?」
「……それでも、だ」
分かっていた。刃の気持ちは痛いほど。だから、
──ドン!
「いっ!?」
唐突に美瑛は刃の背中を突き飛ばし、刃の身体は地面に転げた。
「び、美瑛ちゃん!? いったい何を──」
「……ふっ、あは、あはははは!」
なんだこれ、なんだこれ。
普通は助けた見返りとか、言い寄るとか、するものじゃないか。少なくとも、今まで周りにいた男性はそんな人ばかりだった。
それが今日はどうだ。助けられて、私が本気で惚れて、告白したらフラれた。下心なんか欠片もない。これが笑わずにいられるか。
「び、美瑛ちゃん?」
「はぁ、はぁ、あーあ、笑った笑った」
涙を拭って立ち上がり、刃に背を向ける。こんな酷い顔は、見られたくなかったから。
「……それってさ、光ちゃんがいるから、だよね」
「……あ、あぁ」
「……いいなぁ、光ちゃんは」
ここまで本気で人を羨ましいなんて思ったことは無い。
もし、光と立場が違ったら、自分がその場に立てたのだろうか。もし、私が光なら、そんな真っ直ぐに愛して貰えたのだろうか。
「……美瑛ちゃん」
「……戻ろっか。刃君」
それ以上、会話は要らなかった。美瑛が前を歩き、刃が着いていく。少しすすり泣きが続いた後、
「あ、でも」
しばらくして美瑛が振り向く。
「ちゃんと、しばらくは『彼氏役』、お願いね。刃君!」
「……おう」
赤くなった目元を細めて、美瑛はそう言って笑ったのだった。
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