第十四章

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「……結局、あの人を愛せなかったくせに、一人になるんは、嫌だったんやな……」  そう吐き捨てるように、父親のことを言う。 「帰ったら、俺の事を、清香、清香って……母の名前で呼んで。この着物に着替えろって言われて……」  プライドの高いアキが、なんでそれを大人しく着たのか、それは俺によく理由がわからなかったけど。 「アイツな、綾乃はんにも母さんの形見を着せてた。綾乃さんを抱く時には、いつも母の遺品を身につけさせてた……」  いつしかそんな二人の関係に気づいてしまったけど……それはおかしいって思っていたけど、それは親の閨のことで、子どもが口出せるようなことではなくて……。  亡くなった妻の代わりを、形見を着せた綾乃さんにさせていたってことやろうと思う。せやから、あの人もどんどんおかしくなっていってて……。だから、あの人は好きやないけど、申し訳ないってそんな気持ちがずっと晴れなくて……。  途切れ途切れにアキが話す。俺はそういうアキが一番の被害者だってそう思うけど、でも継母を護ってやらないといけないって、そう追い詰められたアキの気持ちも、ちょっとだけわからなくもない。 「……で、俺が家に着いたら、綾乃なんか、いらんって。俺にこの着物を着せて、絵を描くって……」  そう言って、いうことを聞かなければ、綾乃さんを逃したらへん、って言われて。多分その辺りから、アキの父親の脳内では、アキの事と、亡くなった妻のことがごっちゃになってしまっていたのだろう……。 「あの部屋の、あの匂いをかぐとあかんのや……ドーサ引きの、あの膠液の匂いを嗅ぐと、体が自由に動かなくなる……昔っからそうや。母さんが亡くなった後からずっと……」  それは多分、さっきの部屋の匂いだ。もしかしたら、そんな頃からアキの父親はおかしくなっていたのかもしれない。そしてアキの心のなかに、その頃の記憶が何か影響しているような気がしてならない。 「……そうじゃなければ、あんなこと……」  そう言って、アキは涙も流せない、枯れた瞳で慟哭する。俺は何も言えなくて、アキをギュッと抱きしめる。  さっきの光景が脳裏を離れない。  アキが父親に何をされていたかなんて、そんなことは考えたくもなかった……。ただ傷ついているアキが、今は自分の腕の中にいて、そして今は、その忌まわしい記憶のある土地から少しでも遠くへ離れていく最中だって、そのことだけが俺達の支えになっていた。  程なくして、タクシーは京都駅に付き、俺達は何も言わず逃げるように新幹線のチケットを買った。
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