慕情の花

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 旦那様は芳子様が帰られても戻っては来られませんでした。こんなに憤慨なさったのは久しぶりで、よっぽど癇の癪に触られたのでしょう。  私には難しいことは分かりません。ただ、こんな時旦那様は決まってあそこに行かれます。お屋敷の裏庭です。旦那様は、そこにある石垣のところでだだ座って時を過ごされます。私が知る限りで、3回目です。  1回目は父上様が亡くなられた時、2回目は友が遠くへ離れられたとき、そして3回目が今です。  私はそのお姿を遠くの方で眺めているだけでしたが、一緒に心を痛めておりました。でも、さっきからなんだか雲行きが怪しく、ごろごろと雷様が鳴っています。  そっとしておきたい。雨よ一時だけでいい、降らないで欲しいと願いましたが聞き入れて貰えず、天からしとしとと雫が落ちてきました。  それでも旦那様は一向に戻ってこられず、雨は一刻一刻酷くなるばかり。私は我慢できずに傘を抱え、お声を掛けに行きました。 「お身体に障りますよ。お部屋にお戻りになって下さい」  石垣に座っている旦那様のお背中は、雨に濡れてさらに重く見えます。まるで石垣と同化しているように硬く冷たく思えました。それでも雨は旦那様に容赦なくあたります。私の上にも降っておりましたが、私のとは訳が違うきがしました。  暫くして、旦那様はこちらを振り返ることなく徐に話されました。 「お小枝、…私はただ静かに暮らしたい」  こんなお暗い声は初めてでした。  私は胸に抱えた旦那様の傘をゆっくり開き、これ以上濡れて重くならないように、傘をそっと旦那様の頭上にもって行きました。
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