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(なごみ語り)
「まあ、洋一君、久しぶり。お菓子は包んであるけど、先にお茶を淹れるからそこに座っててね。今日はお客さんが少ないのよ。」
「すみません。いつもありがとうございます。」
いつも混んでいるはずの店内が、閑散としていた。僕は勧められた椅子に座って、一息つく。
通って気付いたことなのだが、光月庵の雰囲気は僕にとって落ち着ける何かがあるらしい。今日も例外ではなく、とても居心地が良かった。
そして厨房からは何か香ばしい香りがしている。誰かが常に同じ屋根の下で作業をしていている安心感は、僕にとっては特別だ。
「お待たせ。本当に久しぶりね。元気そうで安心したわ。」
冷たい緑茶と梅雨らしい涼しげな傘の形をしたお菓子が目の前に置かれた。
「久しぶりって1ヶ月じゃないですか。社長が出張続きで手土産が必要なかったんです。あとで同じものをもう1つ、簡易包装でいいので貰えますか。お客様からお菓子についてよく問い合わせを頂くそうで、白勢が是非食べてみたいと言っていまして。」
「ありがたいわ。こうやってうちを広めてくれると助かります。寛人は、作ることばかりに気がいって経営については無関心なのよ。」
冷たい緑茶を口に含むと、茶葉の香りが鼻を抜けた。
もうすぐ夏が来ることを思い出させてくれる。ここでは確実に季節が刻まれていた。
「洋一君、そう言えば、隼人に会ったかしら。先週、こっちへ正式に戻ってきたのよ。……あれ、知らなかった?」
「………え………」
雪絵さんの言葉に耳を疑った。
大野君が帰ってきている…………
しまった。ここ暫くは忙しくて人事異動に関する社内通知を全く見ていなかった。
「本社は嫌だからって支店勤務を希望して、休みも平日なの。だから今日も出勤なのよね。もしかして、洋一君に挨拶もしていないの?呆れた子だわ。」
雪絵さんが教えてくれた支店名は少し離れた所のものだった。
心の中にいるとばかり思ってた人が近くにいるなんて、おかしな感覚だ。ぼんやりとそんなことを考えた。
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