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(渉語り)
アスカちゃんは僕の恋愛対象が男寄りなのを知っている。それが大好物なんです、といつも食いつきが激しい。僕の恋愛は『萌える』のだそうだ。鍼灸について勉強している時よりも格段に熱心さが違う。
「き、気のせいじゃない……かな。外を掃除してくるから、部屋の中をよろしくね」
獲物を狩るような彼女の前から逃げるように外へ出る。
黙々と箒と塵取りで軽く掃いて、窓ガラスを拭いた。入り口は治療院の顔だから毎日の掃除は欠かせない。
「渉さん、おはようございます。これ、忘れ物です」
後ろからいきなり声を掛けてきたのは、通勤途中のまどか君だった。さっき会ったばかりなのに、何故かドキドキする。他人に言えない2人の秘密があるからだろうか。
忘れ物と称して渡された紙袋には近所の有名なベーカリーのパンが入っていた。
「一緒に食べようと思って渉さんが寝ている隙に買って来たんです。渉さんが帰ってから気が付きました。よかったらどうぞ。お仕事頑張ってください。」
「…………うん。ありがとう。まどか君も頑張って」
朝食を食べていないことに気付き、ぐぅとお腹が鳴った。意中の人を振り向かせるには、まず胃袋から掴めばいいと自ら学んで実践していたが、まさか僕がやられるとは思ってもいなかった。今まで率先していたことを反対にやられると、恥ずかしさでお腹の底がむず痒くなった。
それから、季節は春から夏を迎えた。
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