優しさで溢れるように

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(なごみ語り) 室長の家の中は、思った通り掃除が行き届いていて、無駄なものがあまり存在しなかった。外見は古い日本家屋だが、板間の板はピカピカにワックスがかけてあり、水回りはリフォームをしているようで目新しい。 綺麗というよりは、機能性を追求するに近い。まさしく室長の性格そのものだ。 衣食住がひしひしと感じられ、会社での室長からは全く想像ができなかった。 コーヒーのいい香りが広がる室内で、ダイニングテーブルに4人で座った。 社長が買ってきたクロワッサンをいただく。バターの香りが鼻を抜け、程よい甘さが口に広がった。焼き立てのパンはとても美味しい。 「航さん、パンくず付いてます」 「あ、うん。ありがと。征士郎、コーヒーお代わり頂戴」 「はい、どうぞ。熱いですよ」 室長がさっと社長の口についたパンくずを取り、お代わりのコーヒーを注いだ。自然な流れに本物の夫婦を見ているようだった。 素直に羨ましいと思った。足元には、今時珍しい丸い石油ストーブの上にやかんが乗っていて、シュッシュッと蒸気の音がする。足元も暖かい。 「この後、君たちはどこか行くって言ってたよね。予約とかしてるの?」 「いいえ。行き当たりばったりで、北の方へ行こうかと思っています」 社長の問いに僕が答える。 隣を見上げると、隼人君がにっこりと微笑んだ。小旅行へいくために年末の激務を乗り越えたのだ。楽しみでしょうがない。 「じゃあさ……このまま家に居てくれないかな。納屋で古い杵と臼を見つけてね、餅つきをしたいのだが、人手が足りない。征士郎は大掃除をやるらしく、全く手伝ってくれないんだ。君たちが居ると助かるんだけど……」 「えっ…………」 出たよ。社長の無茶振りと王様気質。白勢社長は思いつきで人を振り回すことが多々ある。自分の用事より大切なものはないのだ。予約の有無を確認してきた所を見ると、少しは気を使ったようだったが、断る隙は全くない。 つまり、断らない前提で物事を運ぶのだ。 「………どうする?」 一応相談するふりをしても、内心は断りたい僕たちは目が泳いでいた。 「君たちにとっても悪い話じゃないんじゃないかな。来年の春に本社で新たな営業関係の部を作るみたいで、そこの人員を考えているらしいよ。大野、本社に戻りたいんだろ?今のうちに社長に名前を売っておけばいい。そんな気は全くないのなら話は別だが」 室長もそんなこと言って、隼人君を誘っている。隼人君が本社勤務になったら嬉しいけど、それより2人きりで遠出する方が僕は大切だ。 再び隣で座る彼を見上げると、泳いでいた目が今度は輝いていた。悪い予感がする。 「はいっ。是非お手伝いさせていただきます。大野隼人と申します。A支店で営業マンをやってます。よろしくお願いします」 「よろしく。君は元気がいいね。じゃあ早速杵と臼を洗って消毒しようかな」 僕は溜息をついて、くすりと嬉しそうに笑う東室長を横目で見た。
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