大切をきずくもの

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大切をきずくもの

(なごみ語り) 春が過ぎ、季節は初夏を迎えた。 平日は通勤時しか外に出ないので、気付いたらあっという間に季節が変わっている。 少し汗ばむくらいの陽気の中、とある休日に僕と隼人君は引越しを手伝っていた。 昼間がこんなに明るくて、キラキラするものだったことを忘れていた。太陽の光を浴びることで、湿った体内が浄化されるようだった。健康はこうして作られるんだ。 地下鉄の駅から徒歩15分、坂を登った小高い丘に2人の新居はあった。間取りは2DKでルームシェアという名目で借りたこの部屋は、二人で住むには十分な広さだ。 しかし、他人に自らの領域を侵されることを嫌っていた渉君が、同棲を始めたことには驚いていた。僕と付き合っていた時も、僕の家ばかりで、彼の家に行くことが余り無かったからだ。 引越し屋が帰り、家具を自室へ入れて細かい配置を考える。力仕事は専ら隼人君と円さんの仕事で、僕と渉君はダンボールから出したものを棚へ仕舞っていた。 台所で皿やコップを食器棚へ並べる。これからお揃いのものが増えていき、共に過ごす時間が増えて、流れる季節を互いに感じ合うのだろう。 「円さん、なかなか力強いっスね。俺は全然ダメだな」 「いや、大野さんも流石ですよ。鍛えてるんですか?」 「1年前までは単身で関西に居たんで、暇つぶしにジムへ通ってたけど、今は仕事が忙しくて全く行ってないかな」 「本社に異動になったって聞きましたよ。営業の花形じゃないですか。スーツ着てバリバリ働くなんて憧れだなぁ」 「いやいや古巣に戻っただけで。そういう円さんも、子供にも人気で、何でもできる頼りになる彼氏だって、渉さんが言ってましたよ」 「そんな……はははっ。今度一緒にランニングでもどうですか」 「いいですね。是非、行きたい」 まるで、中年オヤジの会話だなと思いながら、ソファを動かす2人を苦笑いして見ていた。 隣の渉君が僕に話し掛けてくる。 「洋ちゃん達は一緒に暮らさないの?休みの日は大野が入り浸ってるんでしょ。仕事場も同じになったんだし。 ここ、入居者募集してるよ。大家さんはゲイだからって偏見無い人なんだ。駅からは少し遠いけど、静かで緑も多いからオススメ。ジョギングコースに最適ってまどか君が言ってた」 「あーうん。同居はちょっと、まだ踏み出せないかな。一緒に暮らせたらいいなって思う時はあるけど、オフィスが同じになったら尚更難しくなって」 「そういうものなの?ふーん。サラリーマンはよく分からないや」 企業で働いたことのない渉君が不思議そうに僕の顔を見ていた。 4月の人事異動で、隼人君が本社へ戻ってきた。社長との約束通り、若者向けの空間プロデュースを新事業として始めるための要員として呼ばれたのである。 新事業は、20代から30代までの大人に向けて、住むところ、遊ぶところを提案したり、うちの本業である家具も売ったりする。 元々富裕層や法人向けだった我が社は、目線を変えてもっと親しみやすい企業にしたいのだそうだ。諒を起用した宣伝に手応えを感じた社長が長年温めていた企画らしい。 近いうちに大手住宅メーカーとも連携して、イベントも行う。婚活パーティー的なこともやるみたいだ。 今までにない事業に、隼人君は夢中で取り組んでいる。顔を合わせれば目を輝かせて、新事業について語っていた。他ごとが入る隙がないのは一目瞭然だ。 そんな彼に同棲しようだなんて言い出せない。プライベートは二の次だ。もっと落ち着けば言えたらいいなとぼんやり思うくらいだった。
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