姿無き殺人鬼(ファウスト)

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 当時、エリオットがまだ騎兵府副団長で、現在の師団長達が平だった時代。現場に立たされた皆が足を踏み込む事を躊躇った。  水浸しの床には壁や天井から滴ったと思われる赤い揺らめきがあった。ちょうど、水は踝あたり。床の血痕や、足跡などは全てが流されてしまっていた。  そして、そこにあるはずの被害者の死体はたとえ肉片一つだって見つからなかった。 「犯人は恐ろしく冷静で、正確で、冷酷ですね。これだけ天井や壁を染めるなんて、一人二人の被害者ではありません。最低五人は殺しています」 「手口は?」 「天井や壁にまで吹き上がっている事を考えると、頸動脈の切断だと思います。恐ろしく正確にそこだけを狙っているのだと思います。これだけの数ですから」 「腕が立つな」  むせかえるような錆びた臭いが狭い部屋に充満し、戦場に出たこともあるような者が気分を害して外へと走っていく。  部屋の中は赤一色、というよりは既に黒と言ってもいい。そんな状況だ。 「目撃者はない。そして、被害者だと言う者もおらぬ。この犯人、誰一人逃がさなかったと見える」  聞き込みをしていたシウスが、中の様子を見て眉根を寄せる。こいつも肝の据わった男だが、それでもこの現状は酷いのだろう。 「複数犯…ではないな」 「この部屋を見ればおのずとな。見張りなり協力者なりがいた可能性はあるが、この光景を作り上げたのはおそらく一人。この部屋は狭い。被害者が最低五人と考えて、複数犯では動き回る事も容易でなくなる。この部屋以外に血痕すらも残されて無いとなると、犯行は全てこの部屋で行われた。犯人は、この部屋から誰一人逃がしておらぬ」  部屋は十人入れば窮屈そうな部屋だ。ここで大立ち回りとなれば、狭く感じるだろう。確かに、複数は考えづらいか。 「今でこそ天井の血が乾いておるが、事件の最中は雨のように降ったであろうの」  天井を見上げたシウスが瞳を厳しく細める。ファウストもそれは思った。  どす黒く、既に塗るところの見当たらない血天井が鮮血に塗られたその時には、滴る血が雨のように降っただろう。  『ブラッドレイン』といつしか呼ばれた殺人鬼は、その後同じような惨殺現場を計五つ作った後、ぱったりと姿を見せなくなった。
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