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数ヶ月後
(しかし今思えばやっぱ俺ってかなりカッコ良いこと言ったんでは?)
あの時の自分の発言を思い返すのは何回目だろうか。
父上も俺の叱責に驚いていたみたいだったし俺自身もあんなこと言えたのか、と驚いているくらいだった。
まぁ忠誠を示してくれたから結果オーライってところだ。
さてあれから数ヶ月経ち年を越した。因みに今は天文14年らしい。
数ヶ月の間に俺の近習になった者の性格がよく分かった。
朝比奈左京亮は自分が掛川朝比奈の嫡男であることに誇りを持っていてそれに対し無礼な発言をすると激怒する。性格は典型的な猪武者だ。短気で考えるより行動に移すタイプであり早とちりして問題を起こしたりすることもあった。
三浦右衛門は逆にしっかり考え行動に移すタイプであり左京亮とはしばしば対立している。また皮肉屋で自分の立場の低さもあるのかかなり捻くれており今川に対する忠誠心は高いのだがその忠誠心が空回りしてしまうときがある。
蒲原三郎左衛門は今川一門の者であるからかかなり雅な感じがするが何かあったら直ぐに動く為緊急時には役に立つ。
由比源左衛門は苦労人だ。だが源左衛門が居なかったら酷いことになって居たのは間違いない。
正俊が左京亮と右衛門の喧嘩を止めようとしても話すら聞いてもらえないというのに源左衛門が仲裁に入ると少しずつ収束に向かっていく。
しかし正俊は完全に舐められているというか一応三浦家の出の者ではあるが戦の経験はあまり無いようだしどうにも頼りない感じがするのも原因だろう。
こんな個性豊かな近習たちだが俺が動くとカルガモの雛のように後をついてくる。なんか可愛い。
さて話が変わるが山本勘助が庵原館に帰って来たようなのだ。俺が向かった時には既に戻って居たのが残念だったが近況報告をしてくれたらしい。忠胤からどんな話をしたか聞いたらどうやら無事武田家に仕官できたようで晴信の側で腕を振るっているらしい。
晴信が信虎お爺様の頃に盟を結んだ諏訪を滅ぼした際当主頼重の娘を側室にするよう進言し受け入れられたらしい。勘助は晴信は立派な大将だと笑いながら話したそうだ。元気そうで良かった。
そんな武田家は今信濃上伊那郡の福与城の藤沢頼親を攻めて居たが攻めあぐねていた。
そこで義元が一門衆の一宮出羽守宗是を援軍として派遣したらしく頼親は武田家との和睦に応じ開城したらしい。その一方で義元は河東を取り戻さんと動いていた。
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