山本勘助

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今川龍王丸として生まれ数年経った。 俺は今川家嫡男として父である義元に可愛がられると同時に義元に師としてつけられた太原雪斎によりとても厳しい教育を受けた。 サボろうとしたり途中で逃げようとすれば拳骨と長い説教をお見舞いされた。 仮にも今川家の後継者にこんなことして良いのか?と抗議した時には 「この様なことで文句を言ってる様では今川の後継者になる資格すらない。」 と冷たく返されてしまった。 父に家老としてつけられた三浦正俊に泣きつくが正俊は苦笑いしながらサボる殿が悪いのですよ。 次期当主に相応しい方になる為に頑張っていただかねばと俺に言う。当主の息子というのは楽して遊んで暮らせるイメージがあったがそんなの幻想だった。 そして今日も雪斎から説教をくらい気が沈んでいた俺の元にこんな話が耳に入った。曰くホラ吹きと言われていた男が庵原館にいると。曰く片目を失い片足が動かずみすぼらしい姿であると。曰く実績がないのに城攻めや築城に心得があるとホラを吹いていたと。曰く義元様があのようなみすぼらしい男を登用するわけないのに未だに居るのが理解出来ない、と。 俺はその男とやらに興味を持った。未だにということは俺が生まれた後にもその男は庵原館にいたということだが何故気づかなかったのか。 いや生まれてから状況理解するのに時間がかかったしその後も雪斎の授業がありなかなか時間も余裕もなかったから仕方ない。 今から会いに行けば良いと考え庵原館に向かった。 もちろん正俊や雪斎には内緒でだ。
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