第1章

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 その展覧会は一生に一度出会えるかどうかの貴重なものだった。  愛好家が高値で買った絵画なら、展覧会に出てくることはまず叶わない。また、所蔵されている場所が、ルーヴル美術館のような海外の著名な施設であれば、日本でお目にかかることはないだろう。そういった意味では、生きているうちにそれらが見られるというのはとても運がいいことだと言えた。  「まさかクリムトが見られるなんてね」  その情報を知った時、三船由紀子は喜びを隠せなかった。もし上京していなければ、こんな機会はなかっただろう。  由紀子の故郷は小さな地方都市で、ひとつの街に全ての機能が集約されている。それゆえに大規模な展覧会すら、その街を素通りしていったのだ。だが東京は違う。  見たい物が気がねなく見られる、こんな幸せは他にないと思った。  ひとつだけ気がかりだったのは、その会期だった。忘年会が始まる頃に開かれ、年を跨いで、新年会の終わる頃に終了する――。帰省先のある社会人にとっては、いささか不親切なものに感じられた。  由紀子自身はどうにか予定を調整できそうだったが、忙しさを極める中、この誘いに乗ってくれる友人はいなかった。   気温のせいでため息の輪郭がはっきりと見える。携帯電話を触る度に、虚しさが由紀子の心に満ちていった。結局都合がついたのは週末に重なったクリスマスイヴだった。  目的地がはっきりしていようと、若いカップルに溢れたイヴの街を歩くのは抵抗がある。浮かれ気分にも色や温度があるからだ。  「よし」  憂鬱に区切りをつけて、ドアをゆっくりと開ける。そこにあるのは、とても静かで、凛とした空気だった。ようやく来られた、ようやく見られる――、その喜びが由紀子の心を満たしていった。  穴が空くほどに画集を眺めていたから、見知った絵ばかりだったが、近くで見ると全く見え方が違う。そのことがより由紀子を興奮させた。  順路に従って中ほどまで歩いたとき、由紀子は何かが床に落ちていることに気付いた。ハンカチの類だろうかと思い、拾い上げてみると、綺麗な封に入った一通の手紙だった。  「十四時、この手紙は世界にひとつだけの金色の前に――」  「――ありますか?」   
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