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「私、三船由紀子って言います。三艘の船に”自由”の由と、”日本書紀”の紀と、”子供”の子で」
「ああ、すみません、申し遅れました――隅田敬です。”隅田川”の隅田に、”敬語”の敬で」
隅田と言ったこの男のはにかんだ笑顔には、彼の人となりが表れているように思えた。真っ直ぐで、どこか不器用であるが、それを隠そうともせず、また変に飾りたてようともしない。彼の持つ朗らかさは、若さのせいだけではないのだろう。そう考えていると、隅田が由紀子の手元を覗き込んだ。
「三船さんの持ってる手紙って、もしかしてこの絵について書いてました?」
「うん。ただ、”この絵の前にありますか”としか書かれてなくて、なにがなにやら」
「僕の持ってる手紙って、続きがあるんですけど――」当惑した様子の由紀子を見て隅田は続けた。
「せっかくだからこのまま回ってみませんか?」
場合によっては様々な危険さえ伴うはずだった。それを、「愛好家のお遊びかも知れませんよ」と言ってのけた隅田は、ある意味で心強かった。何より、語りあえる同志が出来たことが由紀子には嬉しかった。
隅田に届いた手紙には、これから鑑賞すべき絵画が指定してあるという。先の心強さと安心感から、ちょっとした冒険のようだ、とさえ思えた。
「指定されているのはあと二つだったっけ?」
「ええ――あっ、これですね。”ダナエ”――いいよなあ」隅田はそう言ってうっとりとした表情を浮かべる。グラマラスな美女が迫力のある構図で描かれた、きらびやかな絵だ。
「すごく綺麗――」由紀子はその絵の前で、自身の言葉の先と着地点を完全に失った。隅田が”接吻”について、情動という言葉を用いた理由がわかった気がした。そして、彼と同じようにうっとりと、クリムトの描いた金色の虜になり、暫くはその場所から動けずにいた。
「あの――、三船さん?大丈夫です?」
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