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黒猫は身動き一つせず、じっと暁人を見つめている。エサをもらいに来たのだろうか。
「あー、わりぃ。残りモン、片しちまったから、ねえわ」
人の言葉が通じるとは思っていないが、暁人はすまなそうに言った。すると、黒猫は立ち上がり、ニャアと鳴いた。そして、消えた。
「え?」
走り去ったとか、ジャンプしたとかではない。忽然とその場から消えうせたように暁人には見えた。呆気にとられていると、
「おーい、須賀ァ。終わったかァ?」
店の主人が暁人を呼んだ。暁人は返事をして、慌てて店内に戻った。厨房では、主人が明日の仕込みを行なっていた。
「どうしたんだい? 幽霊でも見たようなツラして」
「あ、何でもないっす。裏に猫がいて、ちょっと驚いただけで」
「猫ォ? ああ、黒猫のりんか」
「知っているんすか?」
主人は手を動かしたまま続けた。
「まあな。昔っからふらっと現れんだ。別に何もしねえよ。怖がるこたねえ」
「はあ……」
別に猫が嫌いなわけでも、苦手なわけでもない。暁人が曖昧に頷くと、
「それより、だ!」
主人はドンッと拳で厨房台を叩いた。五十代後半とは思えない力強さである。
「イチさん、あんたいつまで寝ている気だい。こちとらとうに店仕舞いなんだよっ」
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