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主人の怒りの矛先は、カウンター席で突っ伏している客に向けられた。開店と同時にやってきた男は、何やら上機嫌で杯を重ね、閉店間際に酔い潰れた。主人がいくら声をかけても、呻くばかりでなかなか起きようとしない。サービスで用意した冷水も、一口も口をつけていなかった。
「完全に潰れているっすね。どうします?」
「どうせパチンコで大勝して、調子こいたんだろ。仕方ねえ」
主人はやれやれとため息をつき、
「お前、こいつを駅前に捨てて来い」
「えぇっ?」
「何、こいつの家は駅の反対側だ。そこに置いてくりゃあ、あとは自力で帰るだろうよ。冬じゃねえんだ、凍死の心配はねえ」
凍死はしないだろうが、連日の熱帯夜では熱中症にかかるかもしれない。そうでなくても、酔っ払いを外に放り出すのはいかがなものか。
「どうせ同じ方向だろ?」
「そうっすけど」
暁人は酔い潰れている男をちらっと見た。この店の常連客で、顔だけは知っている。鳥の巣のようなもじゃもじゃ頭で、いつもよれっとした着物を着ている風変わりな男だ。年は三十歳を越えているだろう。何の仕事をしているか知らないが、定職についているようには見えなかった。
「俺が行ってもいいんだが、腰やっちまったからなァ」
年には勝てないとぼやく主人に、暁人は仕方なく頷いた。
「わかりました。駅でいいんすよね」
「わりぃな、須賀」
頼まれたら嫌とは言えない。それに、こんなことで主人の腰を悪化させるわけにもいかない。
暁人は帰り支度を済ませ、男に声をかけた。
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