男 I

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ちょうどよかった。  癌の告知をされたときは、そう思った。  今のおれにあるものを考えた。妻と娘がいた。大学を出てから働き続けている職場があった。だが妻子とは五年前から別居している。理由ももう忘れてしまった。きっと小さなすれ違いだろう。連絡の取り合いすらほぼ無く、家族というよりは血の繋がった他人に近かった。仕事には真面目に取り組んでいたが、それも真面目であるだけで、決して積極的ではない。生計を立てるため、あるいは仕送りという形だけでも家族とつながるために、しがみついていたにすぎない。  そんなおれにとって、もはや手術でも取り出せないという癌は、惰性で続くゲームの終わりに相応しいリセットボタンだった。苦しんで延命することもないと思い、抗癌剤治療は断った。
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