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いったいどうしてこんなことになってしまったのだろう。
「なんでなんら~」
十一月の寒空の下。柏木希は西の空に輝く秋の四辺形を眺め、ズッと鼻水をすすった。
ーーのぞちゃん、ほら、ペガスス座だよ。
いまは立派な高校生に成長した弟、明の幼いころの声が聞こえて、じわっと涙が滲む。千鳥足で歩くスーツ姿の酔っぱらいを人々は胡散臭そうな目でちらっと見やるが、そのことを気にするだけの余裕は希にはない。
ーーのぞちゃんなんて、大嫌い!
一週間前、明に言われた言葉が鮮やかに甦り、希は顔を歪めた。
ことの発端は、希の部署の忘年会が急遽延期になった日のことだった。
希は、都内にある老舗文具メーカーに勤務している。文房具メーカーの最大のピークは春休みから入学式にかけてだが、十二月から一月にかけて第二の山場がくるため、希の部署では毎年十一月に忘年会をすませてしまう。その日も例年通り、巷からは一ヶ月早い忘年会を予定していたが、当日の朝になって部長を含めた三人もの社員がインフルエンザにかかり、急遽延期となったのだ。
希の家は、看護師である希の母と、高一になる弟の明の三人家族だ。父親は、希が十六歳のときに亡くなった。当時三歳だった明は、もう二度と父に会えないということが理解できなかった。
ーーのぞちゃん、おとうさんは? いつになったら帰ってくるの?
何度も訊ねては、呆然とする希の手を、その小さな手でぎゅっと握りしめてきた。
まだ若かった母には何度か再婚話なども持ち込まれていたようだが、母はその気はないと断り、女手一つで希たち兄弟を育ててくれた。それからは家族で支え合って生きてきた。
せっかくだから飲んで帰るか? という同僚の誘いを断り、希が地元の駅に着いたのは午後六時。母は夜勤のため、いまごろ家には明ひとりだろう。飲み会が中止になったことを明にラインしようとして、ふと希の胸にいたずら心が沸いた。
どうせだったら直接帰って、明を驚かせてやろう。
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