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1 夏休みの始まり
夏休みも目前の七月のある日。春野一夏は国語教師の槙から呼び出しを受けた。
理由は分かっている。先日の期末テストだ。
試験問題の退屈な随筆を読んでいたら、抗いがたい眠気が襲ってきた。気がついたら、試験が終わっていた。答えを書いたのは最初の二問だけ、あとは白紙のままの提出となった。
理系の一夏にとって、国語の試験など捨て科目以外のなにものでもない。赤点は必須だが、追試を受ければなんとかなるだろうと高をくくっていた矢先のことだった。
槙は年の頃は三十代半ばだろうか。細い身体に、変わり映えのないグレーのコットンシャツを着ている。顔立ちは整ってはいるが、涼やかな目元と薄いくちびるが、硬質の印象を与えた。生徒に媚びを売るような態度は一切なく、後ろの席だと聴き取るのに苦労するくらい、細々とした声で、淡々と授業を進める。面白みのかけらもないそれを、ほとんどの生徒がうつらうつらと時間をやり過ごしている。
失礼します、と入った進路指導室に、槙はすでにいて、窓の外を眺めていた。
ああ、いよいよ薄まったな、と思う。
「そこに座って」
振り返った槙が、ゆっくりと近づいて、向かいの椅子に座った。
「呼び出された理由は分かっていると思うけれど」
「こないだのテスト、ですよね」
槙が、口の端で笑った。
「きみが文系嫌いなのは知っているけれど、さすがに五点はないだろう」
「……すみません。眠ってた」
「眠るほど退屈な問題だったか」
「正直つまんなかった、です」
「ぼくは好きだけどな。最後がいい。本、貸すよ。感想文を明日までに書いておいで。原稿用紙五枚。それが追試」
「ええー、五枚も? しかも明日まで? 俺、本読むの遅い」
「徹夜してでもやれよ。だいたい、現国で赤点だなんて、全学年できみだけだからな。本は帰る前に職員室まで取りに来ること」
立ち上がった槙は、一夏の頭をぽんと叩いてから、去って行こうとする。
そろそろ限界なのでは、と思った。だから、呼び止めた。
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