ヘルマン邸

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 僕は生まれていない前のことは何も知らない。  ヘルマンという人が日本に住んでいて何をして何を愛して、どんな犯罪を犯し、そして誰に裏切られたのか。  この場所は僕らにとっては単なる遊び場だったからだ。そこで昔、何があったのかは興味もない。  それに当たり前だけれど僕はヘルマンのように栄華を極めたこともないし、どん底の生活も知らないから、どちらの気持ちもわからない。  それは僕がまだ小学五年生の子供だからだ。  僕がもっと低学年の頃、たぶん小学二年生の頃だ。近所の子供たちとここまで来て鬼ごっこやかくれんぼをしたりして遊んだ。  この廃墟と化した「ヘルマン邸」跡、別名「ヘルマン屋敷」は管理する人もいなく勝手に中に入っても怒る人もいない。  あの頃は今よりも大勢の友達がいた気がする。一緒に遊んでいたのは二十人位いたのではないだろうか?男子ばかりじゃなく女の子も何人かいたと思う。  廃墟なんかで遊んで何が楽しいわけでもないけれど自分の家や学校以外の建物を自分たちのものにした気がして楽しかったのかもしれない。  当時、大聖堂のような建築物の中を歩くのはわくわくしたものだ。  何分か歩いているとすぐに中で迷ってしまう。それほど建物の中は広い。  いくら廃墟とはいえその構造を見ていると昔は豪華絢爛だったのに違いないと子供の僕にも容易に想像を巡らすことができた。  建物は四階建ての構造で宿泊客用の小部屋がいくつもあり、舞踏会でもできそうな大きなホールが一階と二階にそれぞれある。  建物はコの字型になっていてその中心には中庭があり、今では雑草が生い茂り庭の美しさなど微塵も感じられないが庭の中心には噴水があったと思われる丸い池が配置され、池の周りには草花を植えることのできる花壇のような盛り土がいくつもある。  建物の尖塔には十字架がそびえていて遠くから見ると古い教会のようにも見える。  そして、危ない階段を昇ってでも見たくなるヘルマン屋敷の上層階からの眺めは絶大だった。吉水川の河口は全て見渡せるのはもちろん、天気のいい日には瀬戸内海に浮かぶ淡路島、大阪湾、その向こうの和歌山県の山々までが見えた。
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