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ヘルマン邸
◆
吉水川の上流を眺めると右手の高台に洋風の大きな建物が見える。.
洋館「旧ヘルマン邸」だ。
既に廃墟となっているので子供たちの間では「ヘルマン屋敷」とか「お化け屋敷」と呼ばれたりしている。
この洋館は明治時代から大正時代にかけて、ドイツのシーメンス社の極東支配人ビクトル・ヘルマンが住んでいた。
当時、シーメンス社は電気関連の世界的大企業だったらしく、日本の東京、大阪への進出に大成功を治めていた。ヘルマンは支配人として日本に永住する決意があったらしく、吉水川の東側の山の土地を丸ごと買い取り山の麓の高台に豪華絢爛な大洋館を建てた。
それはまるで中世の貴族たちが住む城のようなドイツ式の建築だった。
今では想像も出来ないような贅沢で煌びやかな生活がそこで繰り広げられていたらしい。
けれど後に、日本の高官がシーメンス社から賄賂を受け取ったという大汚職事件が起きて当時の内閣はこれによって総辞職した。
そしてヘルマンは有罪判決を受け、この屋敷を去ることになり、やがて昭和の時代になり太平洋戦争が起こった。この辺り一帯はアメリカの空襲、焼夷弾を受け「ヘルマン邸」は廃墟同然の建物になってしまった。 屋根は抜け落ち、壁はあちこちが崩れ去り、庭園の草花は焼けた。
それが今、僕の見ている「ヘルマン邸」だ。当時の豪奢な生活など想像もできない。
つまりは人の世の中は全て「栄枯盛衰」の原理で動かされている。
そんな風に僕の父は吉水川の上流の山に二人で登った際に「ヘルマン邸」の顛末話をよく話した。
父の話の最後には「平凡な暮らしが一番だ」と締めくくられる。その言葉は子供心にも父の言い訳のように聞こえた。
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