俺、ウサギ。丸いゲージの中

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「良くん薄々気づいてるんでしょ。だって聴覚に異常ないんだもの。もしかしたら事故の時に脳のごく一部が損傷したのかもしれない。話し言葉の抑揚を認識する部位をね。私もそう思う。でも何年も経って今さら大病院で精密検査なんてやだって考えてるんでしょ?どうせ症例に使われるだけだし。 感情の掛け違いって、他人には分からないけど相当辛いと思うよ。」 「加奈子は実感できるのか?」 「実感したい。日々の努力でなんともならない苦痛なら、私、手伝いたい。」 「頭のてっぺんから湯気出す課長を怒らせない方法とか?」 「そうね、それが解決すれば生きやすくなるって言うのなら。」 「こんなのはどう?」 小ぶりな社用携帯をテーブルにのせた。 「派遣登録しているスタッフの女がさー、いつでも俺に電話かけてくんだよ。」 「あら、素敵。頼られてるじゃない?」 「縛られてるのさ。毎日毎日『仕事辞めたいです』、次の日は『やっぱり頑張ります』、その次の日は『けどやっぱり辞めようかな』。今朝なんて彼氏が怪我しましたってさ。俺、日記の代わりにされてるみたいだ。」 「他の社員さんは何て?」 「俺以外の営業は余裕ないしな。一番暇そうな人間を見抜いたのかもしれないけど。」 「あ、食後にこれ頼もうっと。良くんは?」 加奈子の笑顔は可愛い。分かる。知っている。でも。 「俺はコーヒー来るからいらない。」 「ねえラテアート。何の絵かお任せだってー。」 でもやっぱり俺は正しい返し方が分からない。 「加奈子。」 「なあに?」 「感情の掛け違えだよ。」     
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