1. 出発の朝

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 不思議な感覚だった。  目にとまる何もかもが買えるほどのお金はあっても、何も買いたいとは思わない。  あれほど好きだったりんご飴に後ろ髪を引かれることもなく、元旦の空気を味わって駒鳥神社をあとにした。  市街地に近づくにつれ車や人通りは少しずつ多くなっていった。  きっと街の中心部にあるデパートでは今日から初売りセールがやっているのだろう。  店内の目立つところに紅白で彩られた福袋が並べられ、何が入っているか開けるまで分からないという得体の知れない紙袋を開けるのが、我が家の恒例行事だった。  そして毎年福袋を開封するのは決まって父の役目でもあった。  寡黙な父は率先して家の中の掃除を行ない、普段から一家の家長としての威厳を示すようなことはないのだが、1年の始まりに行われる福袋の開封のときだけは父親としての権利を最大限主張した。  まるで1年間家族のために尽くしているのはこのときのためと言わんばかりに、1番風呂ならぬ1番開封をしたがる父に仕方なく開封の役目を任せてはいたが、父の引きの弱さは親族の中でも有名で、ハワイの首飾りやゆでたまごを均等にスライスする器具、ドリアンを運ぶためのケースなど、おおよそ役に立ちそうもない不便グッズを引き当てては毎年家族を困らせていた。  記憶の蓋を開けながらデパートへと通じる道を左折し、歩道橋を渡って幹線道路を横断した。  私の足は自動運転のごとく、歩きなれた道をゆく。  どんなにくだらない記憶を思い出していてもたどり着けてしまうほど体になじんだ道だ。  引きの悪い父が唯一喜んでいた商品がカシミヤのコートだった。  家族のものではなく自分用として良い商品を引き当ててしまうところに、やはり生来の引きのなさを感じるが、父がカシミヤのコートを着ることはとうとうなかった。  道の先には市立病院が見えていた。  最近新しく改装された病院は道路も建物も真っ白だ。  見慣れ過ぎた病院の前を通り過ぎ、交差点に出た。信号がちょうど青に変わったところで、私はその歩を緩めることなく横断歩道を渡った。
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