1. 出発の朝

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 この年で「遺産」や「保険金」などという言葉を自らのこととして耳にするとは思わなかった。  あまりに実感の沸かない言葉であり、時期も時期ということで私は「お年玉」と呼ぶことにした。  駅から少し離れた場所に、広町商店街がある。  元日ということでデパートなどとは違いほとんどの店がシャッターを閉めて休業しているが、時代の流れとともにだんだんと人が少なくなっていった広町商店街は日頃からシャッターを閉めているお店も少なくなかった。  いちご大福愛好家の母が毎年通っていた和菓子屋も、今では高層マンションが建ち、その面影は私の記憶の中におぼろげに残っているだけだ。  人影のない商店街を歩いていくと、シャッターが半分だけ開いた店が見えてきた。「フラワーショップ・ミキ」だ。  私の姿を見つけた途端「あーら、優里ちゃん」と店主のおばさんが近づいてくる。  作業用のエプロンをつけて店先に立つ姿は、還暦をとうに過ぎているとは思えないほど若々しかった。  フラワーショップ・ミキを営むおばさん、つまり「ミキ」さんなのだが、ミキさんとは父の看病している頃に知り合った。  ミキさんは「あけましておめでとう」の代わりにお年玉をくれようとしていたので、私は慌てて断った。  お年玉はもう十分だ。  特別にお店を開けてくれたことにお礼を言い、父の大好きだったカスミソウを買った。母の誕生花でもある。  思えばずいぶんと歩いてきたものだ。他にこれといって行くべきところはないものの、来た道を戻るのは味気ないような気がして、別の道から帰ることにする。
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