いつもの場所で、コーヒーを

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 陽平が片付けに行くと、テーブルに本が置かれたままになっていた。彼が忘れていったのだろう。預かっておこうと手に取る。それは、アガサ・クリスティの『ABC殺人事件』だった。  手ごろな栞がなかったのか、本の半分ほどのところに名刺が挟んであった。人様の名刺を栞代わりにすることはないだろうから、恐らく彼自身の名刺だろう。  陽平は本を開き、名刺を見た。そこには会社名と部署名、彼の名前があった。  稲葉理。  漢字の上には、「いなばさとる」とルビがふってある。 「稲葉さん、か……」  陽平は呟き、本を閉じた。そして、彼が来たらいつでも渡せるようにと、レジがある棚の引き出しにしまう。  彼との接点が一つできたようで、ほんの少し嬉しくなる陽平だった。  しかし、陽平の期待を裏切るように、次の日から彼――稲葉理はアガサを訪れることはなかった。稲葉が本を置き忘れてから、一週間が経っていた。 「やばい……すげぇ気になる」  ランチタイムが終わり、ひと段落ついたところで陽平はぼそりと呟いた。 「何か言いましたか、店長」  バイトの峰岸が食器を厨房に戻しながら問いかけてきた。峰岸は、近所の大学に通う男子学生である。ひょろりと背が高く、わかめみたいな、うねうねとした髪型をしている。峰岸には、朝から夕方にかけて入ってもらっていた。     
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