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「そこ力説しないでよ、伊都」
気のせい、だった? でも――。
「ねぇ、日向」
「んー?」
「なんか、あった?」
俺が狸寝入りで脅かしたからじゃなくて、何か、あった? 君が涙ぐむようなこと。涙を堪えてほっぺたを赤くするようなこと。
「……」
「日向?」
「キス」
「……ぇ?」
外はちょうど日が落ちかけてた。紫が混ざったような青い空の下のほうだけぼんやりとオレンジ色で縁取られてて、ひとつ、大きな星が輝いているのが綺麗だ。星座に詳しくないから、そのひとつだけ早く輝く星の名前を俺は知らないけれど。
「寝てる伊都にキスしたかったから」
「……」
「誰もいないけど、学校だったし、しちゃダメなんだけど」
「……」
「キス、したいなぁって」
その星の名前は知らないけれど、ちょうど、日向の頭上にあるとやたらと輝いているような気がする。
「……ン、伊都」
唇を離すと、キスの音がした。それと、俺を呼ぶ、日向の優しい声。
「ここなら、キス、大丈夫だから」
スイミングの更衣室。夜のこの時間にいるのはレッスン受講の人じゃない。選手も兼ねてるここのスポーツクラブ関係者だけになるから、人の数はグンと減る。誰かが入ってくれば、足音ですぐにわかるから。
「ここならって、ここ、更衣室だよ、伊都」
「うん。でも、俺もしたかったから」
顔を上げてくれた日向の唇にまたキスをした。唇が濡れて、綺麗に色づいてて、場所のことを諭すのがなんかたまらなく色っぽかったから、深くて濃くて甘いキスをした。
「ン、んっ……」
ぎゅっと俺の肌に爪を立てて、キスを拒まずに、柔らかく受け入れてくれる舌と唇がセクシーで、落ち着かない。
「でも……」
これからプールなんだけど、早く入りたいくらい、身体が火照ってポカポカだ。
「伊都と、キス、したかったから、嬉しい」
「……」
「……です」
ポカポカ通り過ぎて、今の俺ならプールの水温を一度くらいなら上げられるんじゃないかって、思った。
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