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翌朝、まだ気持ちよさそうに眠る日和子を起こさないようにそっとベッドから出て寝室のドアを開けると、ダイニングテーブルに座って湯呑に口をつけている悠人とキッチンに立つ凛子さんの姿が目に入った。
「悠人…起きて大丈夫なの?」
思わずダイニングテーブルに駆け寄り、悠人の顔を覗き込む。
「あ、吏華さん…おはようございます。昨日はすみませんでした…」
「吏華ちゃんおはよう。まだゆっくり寝てて良かったのに。」
「あ、凛子さんおはようございます。すみません、私ったら…」
挨拶もせずに思わず悠人に駆け寄ってしまったことを謝れば、凛子さんはニッコリと笑って、まるでいいのよ。とでも言うように頷いた。
「顔色はだいぶいいみたいだね…めまいは?吐き気はない?」
「はい。おかげ様で、かなり回復しました。心配かけてしまってすみません。」
「ううん、私こそ、悠人が疲れてたのにも気づかず甘えてばかりでごめんね。これからは、疲れた時は悠人もちゃんと休んで…家事は手抜きしたっていいんだし、何でも完璧にこなそうと思わなくていいんだからね。」
「…はい。ありがとうございます。無理して今回のように、吏華さんにご迷惑をおかけしてしまっては本末転倒なので…これからは気を付けます。」
そう言って上目使いでばつが悪そうに苦笑いする悠人に、笑顔を向けてそっとダイニングの上の大きな手に自分の手を重ねる。
「悠人、いつも本当にありがとう。悠人のおかげで私も日和子も毎日何の不自由もなく、健康に元気に過ごせてたんだって、改めて実感した。でも、それと同時に悠人一人にかなり負担をかけてしまってた事にも気付いたの。でも、そんな状態いつまでも続けてていい訳ないんだよね。日和子が生まれて3か月経ったし、悠人のおかげで私も産後ゆっくりしっかり体力回復させてもらったから…これからは、私にできる事はするし、悠人がちゃんと休める時間も作ろうね。私、悠人がいなかったら本当に生きていけない。悠人のいない生活なんて、考えられないの。だから、ちゃんと、元気で健康でいて欲しい。私と日和子のためにも。」
「吏華さん…ありがとうございます。僕が自分の体調管理をしっかりできていればこんな事にはならなかったのに…吏華さんに心配かけてしまって本当に情けないです。僕も、愛する吏華さんと日和子を残して死ぬなんて、絶対に嫌です。これからは、吏華さんと日和子のために、自分の体もちゃんと大事にしようと思います。」
重ねた私の手をキュッと握り返した悠人と、微笑み合い見つめ合っていると、
「ふふっ。ごめんね、お邪魔なのは重々承知なんだけど…吏華ちゃんのスムージー、フレッシュなうちにどうぞ。」
はっ…!そうだった!凛子さんがいるのに私ったら…!
「あ、す、すみませんっ…!あの、い、いただきます!」
いいのよ、と笑いながら凛子さんが差し出してくれたスムージーを受け取り、恥ずかしさをごまかす様にごくごくと一気に喉に流し込む。
「吏華さん…そんなに慌てずゆっくり飲んで下さい…」
「そうよ、慌てて飲んだらむせちゃうわよ。ふふっ」
瀬野家の姉弟たちは、ご両親のイチャイチャっぷりをいつも目の前で見てるから何とも思わないのかもしれないけど…私はやっぱり家族の前でこんな甘々な場面見られるのは…恥ずかしくて慣れないよ。
スムージーを飲み干し、いいわよ、と言ってくれた凛子さんに、これくらいは自分でします!とグラスを洗い、洗面所で歯磨きと洗顔を済ませてリビングへ戻る。
「吏華ちゃん、朝食いただきましょう。日和子ちゃんが寝てる間に、ね。」
ダイニングテーブルの上には、お味噌汁とごはんにきゅうりの浅漬け、生野菜のサラダと卵焼き、ひじきの煮物が並んでいて、悠人の前には梅干しののったお粥が置かれている。
「わぁ…ありがとうございます。すみません…朝食まで。」
「授乳中はお腹が空くんでしょ?いっぱい食べてね。って言っても、簡単なものしかないけど…ひじきは冷蔵庫に入ってた常備菜だしね。私、何品も作るの面倒だから、いつもお味噌汁を具だくさんにしちゃうのよ。ふふっ」
「いえ…十分ですよー!本当にありがとうございます。いただきます。」
ダイニングテーブルに3人で座り、凛子さんが作ってくれた朝食を頂く。
「…あ、お味噌汁…悠人と同じ味…。美味しい。」
凛子さんが作ってくれたお味噌汁は、悠人が作るのと同じ、優しい味がして、心も体もほっこり温かくなる。
「卵焼きも…美味しい。やっぱり、悠人は凛子さんの味を受け継いでるんですね。」
「ふふっ。そう?私は母よりも、母方の祖母にたくさんお料理教えてもらったから…その味を受け継いでるって事ね。」
「私も…せめてお味噌汁くらいは作れるようになりたいな…。瀬野家のお味噌汁の味…。」
悠人が何でもしてくれるから、ついつい甘えてきたけど、やっぱり最低限のお料理はできるようになりたい。
「…今度、一緒に作りましょうか。」
いつもなら、僕が作るから吏華さんは何もしなくていいですよ。って言ってた悠が、一緒に作りましょうかって言ってくれたことが、なんだかすごく、嬉しい。
「うん!作りたい!一緒に…!私にも、少しずつ、瀬野家の味、教えて下さい。」
ペコリと頭を下げて、へへっと笑ってみせれば、悠人もふわりといつもの柔らかい笑顔を向けてくれた。
その後、凛子さんが付き添って悠人を病院へ連れて行ってくれた。
念のため、耳の検査と脳に異常がないかも調べた結果、特に異状はなく、睡眠不足と疲れからくる突発的なものだろうと診断された。
どちらか片方が無理をしていたら、どこかでバランスが崩れて今回みたいに体調を崩したり、今はなくても、いつか不満が出てきていたかもしれない。
大事に至らなかったから良かったけど、無理が続けばもっと重大な病気になっていたかもしれないのだ。
「私は何もできなくて頼りないかもしれないけど…これから少しずつできる事増やしていくし、やれることは私もするから。悠も疲れたり休みたいときは我慢しないで何でも言ってね。」
検査の結果、異常が無いと分かったその日の夜。
眠る日和子の横に私、その隣に悠人。と3人並んだベッドの上で、小さな声で悠人に伝える。
「…はい。ありがとうございます。」
そう答えた悠人が、もぞもぞとこちらに体を向けて、何かを言いたそうに私を見つめる。
「ん?何か…あるなら遠慮しないで、何でも言っていいのよ。」
「…あの、その…一つだけ、我慢してたことがあって…」
「えっ?何?大丈夫よ。どんなことでもちゃんと受け止めるから。言ってみて。」
言いにくそうにモジモジする悠人に、できるだけ優しい声で笑顔を向けると
「………吏華さんを、だ、抱きたいです…。」
………抱きたい?
「………っっ!?えっ、だっ、抱き…っっ!?」
「日和子の授乳でいつも寝不足の吏華さんに、無理をさせてはいけないし、産後はその、あまりそういう気分にならない女性も多いと何かで読んで…今は妻よりも母なのだからと我慢していたんです。触れるとどうしても、その、抑えがきかなくなりそうだから、くっつきたいのも我慢して…」
言われてみれば、日和子を産んでからは、スキンシップが減っていた気がする。マッサージはよくしてくれてるけど、それも本当にイヤらしい感じじゃなく、ちゃんと、足のむくみとかリンパを流してくれるようなもので…
キスだって、額にはしてくれるけど、唇にする回数は前に比べたらかなり減ってる。
確かに、日和子を産んでからの私は、無意識だけど悠人の妻というよりも、日和子の母にどっぷりなりきっていたと思う。
「吏華さんと触れ合うことが、僕の一番の癒しで…でも、僕の我儘で吏華さんに無理強いもさせたくなくて…」
目をパチパチさせながら上目使いで私を見つめる悠人の表情に、どうしようもなく胸が高鳴ってきゅんっと甘い痛みが走る。
もう、可愛すぎるんですけど…!!
そっと悠人に近づき、チュッと唇にキスをすると、悠人の顔がみるみるうちに赤く染まった。
「…ごめんね。ずっと我慢させてたんだね。確かに最近の私は、悠人の妻より、すっかり日和子のお母さんになっちゃってたね。でも…私も、悠人と触れ合いたいし、悠人にぎゅってしてもらったら、癒されるんだよ。だから…もう、我慢しなくていいよ。」
そう言ってもう一度顔を近付けると、悠人の柔らかい唇が、私の唇を丁寧に食んだ。
「…いいんですか?」
「うん。その代わり、お手柔らかにね。」
「…はい。努力します。」
それから日和子を起こさないように気を付けながら、ゆっくりと丁寧にじっくりと…久しぶりにお互いの体温を感じ合い、身も心も蕩けるくらい愛情を注ぎ合った。
結局翌日は、2人とも寝不足になっちゃったけど…
その分今日は、たっぷりお昼寝をしよう。
日和子と悠人と、私と、3人で…。
番外編 -8- 完
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