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暖かい冬だった。雪もチラつかず、はく息も白くならない。そんな穏やかな冬の早朝、ジワリと締付けられるような痛みに目が醒めた。
珠絵は大きなお腹に手を当てソロソロとベッドから起き上がった。
「大丈夫!やっと会えるんですもの、この子に」
珠絵はタクシーを呼び、産院へ向かった。
激しい陣痛を乗り越え、我が子の元気な産声を聞いた珠絵の視界が涙で揺れる。顔が見たい。小さな手に触れたい。頬ずりしたい。
あぁ、泣いている声さえもなんて愛おしいのだろう。
待ち遠しくて、早く我が子を見たくてキョロキョロする。
5分……
10分……
15分……
絶えず聞こえる足音は段々と増えているし、聞き取り難かった先生や看護師の声も興奮しているのかはっきりと聞こえだした。
「院長先生を呼んで!」
「めずらしい!!」
「美しい直線美だ!」
「先生、それを言うなら曲線美では?」
なかなか赤ちゃんを見せてくれない先生に、珠絵はたまらず叫ぶ。
「先生、私の赤ちゃんに何かあるんですか!?早く、早く会わせて下さい!」
「あぁ、ごめんね木嶋さん。あまりに綺麗なラインだったからね。元気な長い女の子ですよ」
元気な長い女の子
珠絵の側に連れて来られた天使は、スラリと長い首が特徴的な可愛らしい女の子だった。
「はじめまして美月。何て可愛らしいの?」
珠絵が頬ずりしていると、あちこちから手が伸びてきた。
「さあ木嶋さんもういいかな?赤ちゃんをこちらへ!非常に興味深く実に不思議だ!」
名残惜しそうな珠絵から、4人の先生が奪い合うように美月を連れて行った。
美月誕生から4日後、海外出張中だった夫篤志も転がるように病室に入ってき、キョロキョロと室内を見回す。
「珠絵、大丈夫か?付き添えなくてごめんよ……妻が出産を控えているのに海外出張を命じる上司など出世しないさコノヤロウ!出世どころか左遷されるさ必ずね!あぁ、そんな事より僕等の天使はどこだい?」
「あなた、落ち着いて。可愛い女の子なのよ。でもね……病院の先生方が赤ちゃんを離してくれないの……」
「何だって!」
よほどダッシュしてきたのか、なかなか荒い息がおさまらない篤志は、心配そうに珠絵の手を握る。
「よくミルクを飲み、よく泣いて、よく寝てる。私ももっと美月を抱きしめていたいのに、首の直線美やらラインの美しさやら訳の分からない事を言いながら先生や院長先生、インターンまで美月を連れて行くのよ……」
珠絵がため息をつきながら説明していると、廊下から大勢の足音と、またしても興奮気味な声が聞こえてきた。
「木嶋さん!美月ちゃんは実に、実に興味深い!この長い首とそのラインの美しさ!バランスの良さ!」
美月を抱いた院長先生は興奮の極みのようだ。
「ええ院長先生。そのセリフはもう35回聞きました。美月を返して下さい。主人にも美月を抱っこさせてあげて」
唖然と立ち尽くしている篤志に気がついた院長先生は、ニコニコと美月を差し出す。
「おお!木嶋パパさん!美しいライン美の美月ちゃんとご対面〜」
篤志が恐る恐る美月を受け取る。小さな手がモゾモゾと動いている。
「美月……」
どれくらい見つめていただろうか。篤志は一緒に覗き込んでいた珠絵に笑いかける。
「珠絵ありがとう。美月は最高の娘だよ」
「ええ、先生方は首をどうこう言うけれど、世界一可愛いと思うわ!早く一緒にお家に帰りましょうね」
この珠絵の言葉に、病院の先生方は一斉に落胆のため息をついた。
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