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ゆっくりと彼に開発されていった身体は、自然と女を受け付けないものになり、体格も青年に近づいた頃には彼好みに成長した身体を毎夜の様に抱かれた。
幼い頃には分からなかったが、それは所謂性的虐待であったらしい。
それに気付いたのは俺が中学2年生になる頃だった。
しかし気付いたからといって抗うことが出来るわけではない。
俺はここを追い出されたら何処にも行く宛がないのだから。
夜遅くに子供が外を出歩いていれば、大人は「どうしたの?お母さんとお父さんが心配しているよ?お家に帰ろう?」と声を掛けるだろうが、誰も彼もに待っていてくれる人がいる訳でも無ければ、帰る家があるわけでもない。
俺は只与えられるものを受け入れ、身を任せることしか許されていなかった。
そんな俺にも初めての友人ができた。
彼はとても気さくな人で、少々法螺吹きな所はあったが、それも愛嬌だと思っていた。
俺は生まれて初めての友人である彼に、とても感謝していたので「一緒にいてくれてありがとう、俺は君が好きだよ。」と伝えた。
彼はいきなりの事に少し驚いていたが、少しして「俺も好きだよ。だから俺が困っていたらお前が助けてくれよ。」と言って笑った。
その時は何を言っているのかわからなかったが、俺はこの後すぐにこの言葉の意味を知る事になる。
ある時、俺の通っていた高校で同級生の財布からお金が盗まれたことがあった。
勿論俺は誰がやったのかなんて知りもしなかったが、何故かクラス中で犯人は俺だと噂が回っていた。
全く心当たりは無かったので黙っていたが、黙っていたことが悪かったらしい。
俺はいつの間にか”犯人”になっていて、先生から呼び出され「叱ってくれる親がいないからこういう事をしてしまったのかしら?」と揶揄された。
親の代わりに謝りに来た施設の職員には施設に帰ってから酷く怒られたのを覚えている。
頭から水を被せられ、反省するまで外にいろ、と11月の寒空の中に放り出された。
その日は一日施設内に入れて貰えなくて、なかなか乾かない制服を握りしめて必死に寒さに耐えながら過ごした。
翌日の学校では様々な方向から嫌な視線が向けられて居心地が悪かったが、思い返してみれば俺を見る人の視線というのは大概このようなものだったと気付いてからは特に気にせず過ごすことができた。
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