笠地蔵スウェーデンにいく

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首都ストックホルムは日本人の人がいて、最初の生活のスタートアップは色々とお世話になりながら生活を徐々に整えていった。 子供達の順応性がはやく保育所でも言葉とは関係なく毎日楽しく過ごしていた。しかしながら、二回ほど先生のいうことが理解出来ないため苦情を言われた。 妻はスウェーデン語はおろか英語もあやふやなので色々と不自由な思いをして困っていた。 自分も取引では英語それ以上にスウェーデン語を話さないと溶け込めないなので、スウェーデン語の家庭教師のもとで必死に勉強した。 スウェーデンの家具職人の多くはスウェーデン語しか話さない。 個人的に取引きなんてできるはずもないのだが、東京にいる部長は、取引成果が全くないことに不満と分かる文面の電子メールをよくよこした。 この時期は、太陽はかなり遅く日の出をしてあっという間に日の入りする。 闇が多く、晴れの日が大好きな北野はストレスも重なり鬱傾向になった。 病院にいき強い光を週に何回か数時間うけて体調は改善はしたものの 太陽の光が全然見れない寂しさが残った。 元気なのは子供達と頑張っているのは妻だった。 地域の外国人むけの集まりなどに積極的に参加して、片言ながら話して交流をはかろうとしていた。 スウェーデン人は日本人と同様にあまり物事をはっきりさせないところが日本人には居心地が良い。分からないまま過ごすと大変困るのだが、日本人には受け入れやすい、そして元来日本人に対して好意的にみてるようだ。
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