第12話 七回目の桜のころ(最終話)

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「形だけの家族なんていつか後悔する」  よれよれの婚姻届に目を落としたまま言う。  正面の彼女が息を飲む気配を感じた。焦燥感に駆られるもののすぐには言葉が出てこない。次第に鼓動が速くなっていくのを感じながら、下を向いたままひそかに呼吸をして気持ちを整えると、話を継ぐ。 「だから……オレは、おまえと、本当の家族になりたい」  それは、彼女が求めていることではないかもしれない。  両親と家族として扱われたくなくて、そこから抜け出すために彼女は別の家族を作ろうとしている。ひとまず形だけでも。つまり、本当に家族になりたい相手を見つけるまでのつなぎなのだろう。  彼女のためには何も言わずに粛々と聞き入れてやるべきだと思う。そもそもそういう約束だったはずだ。けれど、形だけで構わないと告げられて嫌だと思ってしまった。形だけだなんて--。  誰にもハルナを渡したくない。  ここまで強烈な執着心は初めてのことで自分でも戸惑っている。ただ、その気持ちをはっきりと自覚して、それでも物わかりのいい庇護者のままではいられなかった。裏切られたと思われても仕方がない。  おそるおそる顔を上げると、彼女は大きく目を見開いたまま固まっていた。しかし千尋と視線が合った途端にじわりとその目を潤ませ、ぎこちない笑顔を見せる。 「私も、そうなりたいと思っていました」  震える声で言い、とうとう感極まったように涙をこぼした。  それはハルナも同じ気持ちということだろうか。勘違いなどではなく--婚姻届を畳んで半信半疑で手を伸ばそうとすると、それに気付いた彼女のほうから遠慮がちに体を寄せてきた。  千尋はその背中に手をまわしてそっと力をこめる。おとなしく腕の中におさまった彼女は思ったよりも小さくて、やわらかくて、あたたかかい。その確かな感触は、これがまぎれもない現実なのだと実感させてくれた。 「ずっと、家族として一緒にいてくれるんだな?」 「よろしくお願いします」  ハルナは感情を抑えようとしても抑えきれないような、はっきりと喜びのにじんだ涙まじりの声でそう答えて、千尋の背中に手をまわす。  二人のまわりには、数多の薄紅色の花びらがひらひらと幻想的に舞っていた。
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